高専から編入を2回繰り返して学士をとった話

2019年に高専を卒業したあと、中央大学の精密機械工学科というところに2年次編入し、その翌年の2020年に千葉工業大学の未来ロボティクス学科の3年次に2回目の編入学をし、2年後の2022年に学士号を取得するという、ちょっと変わった学歴について振り返ります。高専生が編入を繰り返してリカバリしようとする例というのもあまり目にする話ではないので、うまく行った例かどうかはさておき、誰かの参考にでもなることを期待してここに事例を書いてみようと思い至りました。二回の編入学の体験記と、学位取得を目指すことそれ自体を振り返る内容になっています。


編入の動機と経緯

高専から4年制大学の2年か3年次に編入する学生というものはそもそも多くないので、高校のそれとは違い、編入生はだいたい何かしら内発的な動機があって編入を目指します。自分も例外ではなく、高専で得るような技術スキルに加えて、複数人でなにか開発をするときのソフトスキルを身に着けたいという思いがあって大学を目指しました。

ただ、本格的に編入を目指そうと決めたのが高専5年の夏ごろと絶望的に遅く、そもそも席次が下から片手で数える順位で、加えて当時フリーランスとして受託していた仕事のために受験勉強をしなかった事から、道のりはかなり真っ暗でした。

当時まだかろうじて募集が残っていた私立大学にとりあえず応募するも、不合格か応募条件のGPAを満たせない状況が続き、忘れもしない卒業式3日前、最後の最後に合格をもらえた中央大学のみが自分にとって唯一の選択肢になりました。本人は進学希望のルートにかじを切っていたため、就職先がバックアップされているわけでも当然なく、当時の教員は19年卒生のうち1名の進路が空白になることを覚悟していたようです。

もし進学に舵を切るタイミングがもう少し早ければ、後に編入する事になる千葉工業大学にはじめから応募しておけば学生生活が1年短縮できたという悔いはあります。もしこれを読んでいるのがこれから編入する学生さんであるならば、まずは早いうちから編入先の下調べを始めていることを切に願います。

中央大での単位換算

今はどうだかわかりませんが、当時の中央大学精密機械工学科の編入は高専での専攻に関係なく基本的に二年次編入での受け入れでした。例を挙げると、同じ高専の機械工から同時に受験していた同期も同様に二年次編入になると案内をされたようでした。

とはいえ、私は高専での専攻が電気電子でありながら編入先に機械工学科を希望していたので、機械工からの編入であれば換算できた力学や実験の単位はすべて取り直しになりました。加えて、これは今から振り返れば合格の受入可否を賭けて交渉すべき重要な局面でしたが、コマ数の数え方が高専と大学で違うことを理由に1-2年の英語や数学などのいかなる基礎教科も認定されなかった事で、内部生の約2倍のペースで1単位も落とさずに複数の学年の授業を取り続けなければならなくなりました。大学にはセメスターごとに履修できる科目の上限(CAP)が定められていて、編入生はこれを特別に(確か)10くらい突破して履修できるのですが、自分の場合はその上限に詰めたとしても1単位も落とせない状況でした。

この状況を打破できたかもしれないポイントはいくつかあります。

  • コマ数の定義の違いで換算されなかった1-2年生の数学、英語、物理などの基礎科目については、これが換算されないと正常な学生生活が送れないことを根拠に、きちんと交渉して換算してもらうようにすること。

  • 他専攻から来た学生については、例えば1年の力学の必修と2年の材料の必修が被るなどの同専攻なら普通起きないケースが発生するので、こういった場合には時間外履修など特別な対応をきちんと交渉すること。

  • 編入前にちゃんと勉強しておくこと。
    受かるのはゴールではない、のいい例。

いずれにせよ、自身の体験と周囲の体験談を踏まえても、編入で専攻を変えるのは基本的に茨の道になることが多いので、新しい分野をすぐ習得できる学力的な余裕があるか、時間的な余裕をもって低次編入できる場合以外は、それ相応の警戒感を持って挑むべきだとは思います。

中央大での半年

履修ペースが内部生と比較してかなり高いこと、本人の学力がかなり不足していたこと、編入生が自分一人だけで頼れる人がいなかったこと、すべてがマイナスに重なって学生生活はかなり苦悩の日々でした。こういうのは頑張るのをやめれば辛くないのですが、当時は頑張ろうとしていたのでかなりしんどかったです。

とはいえ、高専や千葉工大では見つけることのできないような人たちと一緒に実験やプロジェクトをしながら、自分に批判的になって新しい価値観を学べたのは唯一の収穫でした。高専や千葉工大みたいな純粋に技術的なスキルに評価軸がある環境だと、実際にものを作れる人だけが偉いみたいな空気が作られがちで、自分はそういう環境でこそ良い思いができた側の人間ではあるのですが、一般にものづくりの価値は技術単体で決まらないという意味で、そういう環境というのは不健全かもしれません。

研究については、受験の準備すらしていない程度なので当然研究室への見学はしたことがなく、入学してから調べ始めたものの、結局どの研究室を見学することも無く退学してしまいました。入学してから初めて知ることになったのは、少なくとも当時の学科では学部生が研究をやるような事は想定されていない事と、GPAを使った研究室配属選抜はかなりランダム性が高い設計になっていて、希望の研究室に行こうとするのはかなり難しいという事でした。これらは、留年後そこに留まらずすぐに退学すると決めた強い動機のひとつになりました。

留退力学の履修

入学して最初のセメスターでGPAが1を割り、留年が決まりました。あまりにも早い留年だったのに加えて、さすがに単位換算も理不尽だっただろうことが何となく分かってきたために、すぐに別の大学への編入のための準備を始めました。すぐに就職に舵を切らなかったのは、まだ学位に対する夢が捨てきれなかったからです。

振り返ると、高専の電気系の科目すら落としながら過ごしてきた人間が、大学のましてや専攻外の4力学を学生同士のコネもなしで突破しようとするのは無理がありました。とはいえ一般教科は問題なかった訳でもなく、最終的に留年を左右したのは英語の単位でした。コネについては本当に死活問題で、私立大学の編入生は数が少なく当時も編入生は自分一人だけという状況で、ネットワーキングに腐心しながら履修をこなすのは今から考えても無謀を極めていました。「留退力学だけは履修した」というのは、せっかく機械工に入ったのに4力学のうち一つも単位を取ることができず留年・退学した後悔を口にするときの決まり文句で、あまり面白くないことは分かっていますが、どうしても書きたい。

千葉工大への編入

二回目の編入は最初よりも時間が使えるとはいえ、結局のところ学力試験ではどの学校の入試も突破できないので、学力試験なしで受験できて、かつ希望のロボット系の研究室がある大学として、千葉工大未来ロボティクス学科のみを出願しました。選考の小論文と面接には強い自信があったため、他の大学の併願はしませんでした。

しかし、二回目の編入というのは時に状況をややこしくします。退学のタイミングについては、学費の支払い義務が発生する時期までは中央大に在籍することができるため、次の進路が決まるまでは退学届は出さずに学生証を持ち続けることにしました。これは、この後にもしも就活をするのであれば、学生という身分はフリーの状態よりかは状況の説明を簡単にすると思ったからですが、これは本当に就活に転んだ場合には、正しい判断になるのではないかと思います。入試では、千葉工大での面接でいちばん最初に編入が二回目である理由事を訊かれましたが、二回目であることが選考の時点あるいはその後においてなにか悪い影響をもたらしたということはないと思います。

千葉工大での単位換算は中央大に比べて圧倒的にスムーズかつ満足のいく結果でした。中央大は学生側が高専のシラバスと大学のシラバスを対応付けて、それぞれの換算について担当する教授に請願書を書く必要があった一方で、千葉工大は学校の事務が高専のシラバスから自動的に認定できる単位を特定して認定してくれて、全く負担なく処理が進みました。結果的に、専攻が電気電子工学からロボティクス(機械系)に変わったにも関わらず、内部生よりも1-2単位少ない程度の、非常に良好な状態で3年生を開始することができました。

編入生に対してはこれに加えて、特定の科目に対しては入学直後に最終試験を突然受けてその結果で単位を認定する制度があります。私の場合だと制御工学など複数が該当しましたが、これまでの不勉強が仇となりほぼ全部不合格でした。

千葉工大での二年間

時を同じくして招いて頂いた仕事のほうが楽しかったというのはありつつも、結局のところ大学というのは自分にとって楽しい環境ではありませんでした。すぐに休みがちになり、結局おなじ結末をたどる兆しが見え始めたところで、ちょうどCOVIDが大流行して全ての授業がオンラインになり、他学生とのコネや出席といった卒業にクリティカルかつ自分が全くできなかった部分がぜんぶ無視できるようになりました。もしもCOVIDがなかったら、学位を取ることはできなかっただろうと思います。

この頃にはようやく、自分がいかに大学というものに向いていない人間だったかを強く自覚するようになると同時に、退学する前と後で、すなわち学生か社会人かという立場の違いで、例えば展示会や学会のブースなどで話の進み方や話す人の対応が大きく変わるというような経験が多々あったことで、自分の立場を担保する上で学位は取らなければならないと強く意識する機会も増えるようになりました。

同時に、今後起きるであろう就職などの自分をアドバタイズする場面において、他者というのは往々にして何を作れたりどんな問題を解決できるかのような深層的なものよりも、体や肩書きのような表面的なものを用いてしか私を判断しないだろうという事も少しずつ分かってくるようになりました。もちろん職歴を重ねて自身の深層的なスキルをポートフォリオ化できた後にはこの主張は覆せるんですが、初期ましてや学生という初期以前の状況においては、これは妥当な判断になるだろうと思います。

学士を取得して

卒業して、後に米国に拠点を移すスタートアップに新卒で入社し、宇宙ロボティクスのエンジニアになりました。いまのアメリカでの仕事に就く上で必要なビザには、学士以上の学位が必要だったので、学士は取っておいてよかったと思います。アメリカで長く仕事をしたい場合に出す永住権申請では、Master/Ph.DとBachelor's Degreeで取得年数が大幅に変わったりするので、特にアメリカで働きたい場合には学歴がとても大事です。日本で就活するにしても、学位で無条件に応募できる職位や雇用の優先度が上がるため、選択肢を広げる上での学位の恩恵は大きいはずです。

大学編入を決断する経緯は人それぞれですが、高専の五年間というのは、専門的なところまで踏み込むという点では確かに長い期間で取り組めて良いんですが、実際に得た技術をどう使いたいか考えるには少々後半の時間が足らないようなカリキュラムになっているせいで、ちょうど進学か就職かの境目で悩む人が多いと思っています。少なくとも自分の場合は全体的にひどすぎるのでもう少し真面目にやるべきなんですが、きちんと計画を立ててても悩む人は多いです。ただ、みんな悩むので難しいんですとはいえ、進学と就職の舵切りのタイミングは遅れると大事なので、進学を可能性レベルでも考えている人は、それは割合ではなく0% or 100%の問題として、その時点から真剣に調べて検討すべきです。

さいごに

高専から不勉強なまま編入して失敗した話ではあるんですが、最終的には学位は取っておいて良かったですし、エンジニアとしては勉強がひどくてもなにか一芸に秀でていればある程度仕事できるのも事実なので、何か強い規範をもってして大学編入・学位取得を勧める意図では書いてないです。こういう例もあるんだ程度に、誰かの読み物か、ひょっとしたらこれから進路を考える高専生の参考になることを期待します。

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