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実態がわからないという無責任さ
noteもTwitterも、結局ネット上でのやりとりだ。いくら自己紹介やプロフィールを載せても、それ自体が本物かどうかなんて確かめようがない。
実態なんてあってないようなものだと思う。
だから、人を傷つける発言も、はた迷惑な悪ふざけもできてしまう。
無責任な空間だ。
「無責任」になんでもいいたいように言えてしまうから、人を傷つける言葉が飛び交う。
でも、「無責任」であるがゆえに「無責任」な温もりというものがあるのもネット空間の事実だと思う。
私が今、妊娠しているということは、リアルな人間関係では夫以外誰も知らない。
親もきょうだいも知らない、職場にも言っていない、これほどセンシティブなことを打ち明けられる友人もいない。
(そもそも、私には長く付き合ってきた友人がいない、というのが事実なのだが。)
心臓が無事に動くのか・・・それすら危うい状態なのだ。
それをリアルの人間関係に伝えてしまえば、相手に心配をかけ不安にさせてしまう。
それは、リアルの人間関係は互いに「責任」を持っているから。
嫌いになったらブロックしておしまい、なんてことにはならないのだ。
だから、私は不安を、苦しい気持ちを、ここにこうやって書き綴っている。
「無責任」な空間だから。
「無責任」は人を傷つけるけど、でも「無責任」なあたたかさも確かに存在する。
私が妊娠したことをほんの少しでも喜んでくれたり、心配してくれたり。
心底うれしいんです。「あ、赤ちゃんができたって、素直に喜んでいいんだな。」って気づかせてくれたから。
そういう、「無責任な優しさ」に頼りたくなるときもある。
そしてそれが悪いことばかりだとも思わない。
そうやって、「責任」を感じる関係や「無責任」な関係や・・・
いろんなものを支えにしながら、これからも生きていけたらいいな。
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