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一滴ずつ、積み重ねる

ADHDである私は、衝動性を生かした瞬発力が要求される思考や行動を持つことが特徴だ。

ADHDというのはどうも狩猟民族としての脳を色濃く残したものであるらしい。

なので、農耕民族的なひとつずつ積み上げていくというのは、正直得意ではない。
途中で飽きてしまうのだ。

だから、人間関係、つまり友情というものにもあまり関心がない。面白ければそのときだけでいい。長く友情を育むということができないのだ。

飽きてしまうから。

つまらないと思ってしまうから。

刺激がないから。

だから、最終的に残る人間関係というのは血の繋がりのある家族と、夫とその家族だけだ。

こんな私で、夫ともそれほど相性がいいと思わないけど、なぜだが結婚している。それは不思議。

仕事はそのうち辞めることになるから、仕事の人間関係もやがて終わり、関係は完全に切れるだろう。

それでいいと思っていた。

でも、ひとつずつレンガを積むように、一滴ずつ水が滴るように、
ほんの少しずつ積み重ねることで伝えられることがあるのかもしれないと
最近そう思えるようになってきた。

あたたかさであったり、おもいやりであったり、

そういうものは、ひとつずつ、一滴ずつ積み上げていくことでしか伝えられないのかもしれない。

いや、それしか方法がないのだろう。

文豪のように、詩人のように美しい言葉で愛を伝えても、

音楽家のように心を美しい音楽で表現しても、

それは芸術品としては人の心を動かすかもしれないけど、

本当に伝えたい、生身の人間関係に必要な「愛」にはならないのかもしれない。

ひとつずつ、一滴ずつ、時間をかけて伝えていく「こころ」。

積み上げたレンガは破壊され、一滴ずつ滴り落ちた水はあっさりと流されてしまうしまうかもしれない。

それさえも、受け入れて、ある意味で相手が受け入れてくれることすら「諦めて」、それでも積み重ねていくことしか、それしか方法はないんだな。

今日も、ひとつずつ、一滴ずつ、伝えていくよ。

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