笑うには助走が必要なのではないだろうか。。。と気づく
最近、天気のすっきりしない日が続いている。なんとなーーく、曇っている、という日がもう、何日も続いていて、そろそろ日照不足による不作が心配されている。その代わりといってはなんだけれど、ゲリラ豪雨は少なくて、ただ、ずーーっと曇っている感じ。
たまに、ちょっと陽がさしても、就業時間内であれば外に飛び出して日光浴というわけにもいかない。「あー、あー、もうちょっと続いてーー」と思っている間にまた曇ってしまう。 そんな日が続くと、なんとなーーく、気力も落ちてくるし、気分も沈む。
この年ともなれば、そんな状態でもなんとか這いずるようにしてでも仕事はこなすノウハウは持っているし、もっとテンションが必要な作業の場合は、テレワークの強みで、BGMをガンガンかけながらやったりする。ただ、論文執筆とかシナリオ設計みたいな作業は、テンションのあがる音楽などはむしろマイナスで、人の話し声ですら煩わしい。
なので、試しに、笑ってテンションをあげてみようと思った。
とはいえ、これが結構難しい。実は、わたしは「お笑い」では笑ったことがあまりなくて、何が面白いんだかよくわからない。「笑えるドラマ」みたいなものを見たこともあるが、なんだか、そこにある登場人物の言動はいじめに見えてしまって、面白いどころか、とてもイヤな気分になってしまった、なんてこともあるぐらいだ。お医者様に「まあ、お笑いでも見て。。。」と言われると非常に困る。
が、ある時、「笑う」のは、口角を「くっ」とあげることが大事で、逆に口角をあげていれば、笑ったのと同じ効果がある、と聞いた。それは、免疫細胞の活性化に関する効果だったのだが。
「これはいいことを知った!」と思ったが、無意識にしてると、どうも口角は元の位置にお戻りになってしまう。
割りばしをくわえるとよい、と聞いて、咥えてもみた。が、あれ、みなさん実際にやっているのだろうか。。。少なくともわたしの場合は、涎が垂れそうになるのだけれど。人に相談したら「それならちくわを咥えてみたらどうか」というアイデアをいただいてやってみたが、むしろ、涎は増えた気がする。今にして思えば、何故ちくわだったのだろう。
次に、「小顔ベルト」というものも買ってみた。これは、リフトアップ効果もあるということで、頬のひきあげもするなら、口角もあがるだろう、という目論見だ。 「おっ!いいもん、みっけだじゃーん、あたしって天才かも?!」などと思ったのだが、世の中、そう甘くはないのだった。忘れていた。ついちつい忘れてしまう。
たしかに、多少はあがるのかもしれない。ただ、わたしの場合、顔型が面長なので、設計時の想定とのずれがあるのだろう。口に関しては、口角があがるというよりは、おちょぼ口のように前につきでるように思う。 なかなか難しい。しかも、お茶がとても飲みづらい。やはり、ちゃんと笑うしかないようだ。
わたしは、「意外性」とか「うまい掛詞」とかがツボにはまると自覚している。おやじギャグも掛詞だけれど、必然のない関係性をいきなり提示されてもとまどいの方が強い。頭の回転が追い付かないのだ。「ええと、何故、急にこんな言葉が?。。。ああ、そっか、これとこれをかけたのか。なるほどー」みたいな。笑うというより謎解きができた満足感が勝ってしまっているようだ。 そして、情けないことに、突然でないあまりにも自然な掛詞には気がつかなかったりする。なんという扱いづらいツボなんだ。ストライクゾーンとボールの大きさが一緒、ぐらいな難易度かもしれない。
だが、スイッチが入ると、涙が出るまで笑い転げたりする。うちのアレクサが「なんか、部屋がカレーくさいね」にいきなり反応して「すみません、わかりません」と言った時にも笑い転げたものだった。
かつて、読んで、涙が出るまで笑い転げた本がある。「言いまつがい」だ。
単なる言い間違いを集めたもので、中にはホントかよ、と思うものもあるけれど、こういう方がわたしは楽しい。あとは「おかんメール」シリーズとか。といって、大笑いするほどのものは、少ないけれど。
私が読んだのは書籍だったけれど、サイトでは一日一個、新しいネタが掲載されていたという記憶があり、久しぶりに覗いてみた。
あるある。今でも、更新されているようだ。
勿論、最初っからそんなに笑えるものでもない。だが、読み進めていった。20作目ぐらいで自分的には大笑いするものに行き当たった。やった。さらに読み進める。また、10作ちょいで笑えるものに行き当たった。それから少ししてまた大笑い。涙が出るぐらい笑い転げた。
そして、ふっと気づいた。「笑える!」と思う頻度があがっている。笑った時の笑いが大きくなっている。一笑いごとに笑いを感じる何かが底上げされていく感じ。だから、最初の方のネタも順番次第では大笑いしたのかもしれない。
ウツウツとしている人に、たまには大笑いすれば?などと言ってしまいがちだけれど、「この人には笑いが必要なんじゃないか?」と思う人に本当に必要なのは「大笑い」ではなくて「小笑い」なのかもしれない。小笑いを積み重ねて足固めをして大笑いができるのかもしれない。
それと同時に、小笑いのためにも、その瞬間は面白くないものでも数多く振れれば、面白く感じるのかもしれない。助走のように、ふっと離陸する瞬間があるのかもしれない。
うーむ。。お笑い番組とか、少しまとめてみてみようかな。
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