あの日②。
うつらうつらし朝を迎えた。土曜日。
街の状況を見に家を出た。
近所のスーパーマーケットには食料を求める大行列。余震が続いていることに加え、店内は陳列棚が倒れており、駐車場でインスタント食品を中心に販売していた。
さらに歩くと大きな病院がある。そこで初めてテレビを見た。私はずっとラジオを聞いていた。言葉で最大限理解できる最悪の状況は頭の中にあるつもりだった。その最悪の状況より、さらに酷い状況を想像していたつもりだった。が、現実はもっともっと悲しいものだった。
周りには大勢の人。みんなテレビを通じ今、起こっている現実をじっと見ていた。目頭を押さえる人。嗚咽を漏らす人。誰一人、言葉は発していなかった。ただただテレビを見ていた。
テレビを見ていたのは数分だろうか。私は街の中心部へ向かった。
音がない。
街にあるはずの音がない。信号機や車、店舗から流れる音楽・・・。日常、あるはずの音がない。
コンビニでは暗闇の中で電卓をはじいて商品を売っていた。タバコ屋には5人程度の列。ずっと止めていたタバコを3箱、買った。
家に戻ると、母親が倒れたものを片付けていた。
「また地震が来るかもだから、まだいんじゃない?」
「何かしなきゃ落ち着かなくて」
私はまた、家を出た。
今度は街の中心部とは反対へ歩いた。私の実家は街の中心部から約10分。暮らしている人が昔からほとんど変わらない。ゆえに高齢者の一人暮らしが多い。幸い、倒壊などはなかった。
家に戻り、ラジオを聞き、手帳に書く。被害の規模がわかってくるにつれ私は、この作業を止めた。テレビを見てしまったからだろうか。事の残酷さを知るにつれ、書き留めるのすら苦痛になってきたのを覚えている。自分の人生で今までも、これからも書くことはなかったであろう文字を、自分か書いてしまっている状況がいやでいやでたまらなかった。いまだにその手帳は読み返していない。
ラジオでは、安否確認のため名前が読み上げられるようになっていた。
バーナーでお湯を沸かし、インスタントで夕飯。ラジオを聴きながら、ヘッドライトの灯で本を読んだ。何の本かは覚えていない。
相変わらず余震は続いていた。
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