松岡くん。

ずっと後悔していることがある。
「松岡くん」
君のことだ。

それは中学校の確か1年生の時。朝、松岡くんが家にやってきた。相当、早い時間だった。玄関から母親が私を呼んだ。
「友だちが来ているよぉ~」

2階から寝ぐせのまま1階に降りた私の目の前には、坊主頭のニコニコした松岡くん。
「迎えに来たよ。一緒に学校に行こう!!」
とっさに
「起きたばかりだから準備もしないといけないし。先に行ってて」
このやりとりが数日続き、結局、彼は来なくなった。

もはや松岡くんの風貌をしっかりとは覚えていない。けど、小さくて、屈託のない笑顔はおぼろげに思い出すことができる。

当時の私はアグレッシブだった。同級生がちょっと苦手とする部類の人にも話しかけたりしていた。良く言うとわけ隔てなく他人と接し、今で言う「パリピ」と周りから見られていたと思う。その傾向は現在も続いている。どちらかと言うと根暗に分類される性格だと自分を分析しているが、今も周りからは明るい部類に見られている。

松岡くんとはクラスが違った。けど、体育の授業は一緒だったと思う。そこで接点を持ったのだと記憶しているが、なぜ、彼が私の家を知っていたのかはわからない。とにかくどこかで接点を持ち、彼が家に来たのだ。

松岡くんは、俗にいう目立つグループではなかった。どちらかと言うと静かな、目立たないグループだったように思う。元来、根暗な性格と自負していた私は、目立たないグループの独特な空気感に憧れていた。外に向け発するエネルギーより、内へのエネルギーとでも言うか
「わかる人にはわかる」
いや
「わからない人にはわからなくてもいい」
みたいな潔さを感じていた。

そんな私の中途半端な興味が、松岡くんとの接点を作り出したのだと思う。

『仲良くはなりたいが、一定の領域まで侵入してこようとする人には極端なバリアを張る』

昔からの私の特徴だ。友だちになろうとしてくれているその手を、さっとはらう。結局、どこまでも自分本位なのだ。

今では、バリアの張り方も数種類使い分けることができるが、中学時代はその術を知らない。松岡くんにとってはあまりにも残酷だったと思う。

ごめんよ。松岡くん。

正直に言うよ。
君の屈託のない笑顔が苦手だったんだ。
本能的に君を避けたんだ。
なぜかはわからない。
普段、大人しい君が私の家で見せた笑顔。
君のワクワク感に、私は応えることはできないと感じたんだ。

本当にごめん。


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