現代人は次元と階梯を知らないため、倒錯で自家中毒シ寸前。
https://note.com/exaray/n/n022b6cc9a01a?sub_rt=share_pw
私は上の記事が価値あるものと考え、私のお節介と言いたい放題主義を発動して意見を投稿したのだが、文章力がないのと自身が子供の頃から人生を厭世的に諦観する気持ちが強いために、詳しい説明をする気力がないことで大雑把に済ませてしまった。そのため、電網界でも(現実界でも)迷惑をかけてしまった。
以下、投稿記事を掲載する。
ただし面識もない江草 令さん(どのような方かは知らない)という方の文章を読んで私勝手判断してやたらとコピペするのは憚れるので、それが日本電網の習慣になってきているようなので、私も避けるようにしている。
しかしこのような制限と自粛を多くして、それよりもっとも大切な次元が異なる「真実と真理を追い求める」ためのコミュニケーションと話し合い、情報なるもの、言葉、言語、文字、文章、電網、ブログなどなどであるという本質を忘れてしまった、人間意識と生活習慣と、その社会慣習となってることは反対しています。
せっかく人類が手にした電網条件が、そのような言論統制の洗脳によって人々が倒錯し発言の自由や表現の自由を自粛していたら、それらは窒息さえられてしまうだろう。(現代人の倒錯とその狂気は甚だしくて、すでにそうなっているので言葉文化体制《イデオロギー体系》へのレジスタンスが必要になっている)
そこで以下のよな投稿となっている。
そうなんですよね、科学と学問は哲学の真理と認識論などから外れると学問にも科学ににもならないことを忘れてしまったのです。というかその真理から別な道に切り替えさられてしまったのです。
それを哲学を知らない多くの人(学者たちー民衆は言うに及ばず)が正常判断ができていると錯覚させられてのです。
哲学がないと人間知性も学問も科学も存立基盤がなくなることを、現代人世界は知らないのです。
それがヘーゲルの哲学が偉大な「人類史的な知性」=学術論科学論、認識の正しいあり方論(つまり哲学)だったので、その偉大さと影響の重大性を認識した時の欧州王侯貴族と皇教教界がヘーゲルとその手哲学の無視を決定したのです。
それから科学は窒息(殺)させられ、未文明化と野蛮化の方向えと回帰させられたのです。
そのヘーゲルの偉大な発見と解明の哲学の痕跡を消すために、世界的に
「新ヘーゲル主義」を成立させ、しばらく学者たちの知性的議論をさせて様々な批判を出させ批判が指摘する問題点を解決するものとして
「新カント主義」を成立させ、しばらく学者たちの知性的議論をさせて、様々な批判を出させ批判が指摘する問題点を解決するものとして、
実用的にまた功利的に解決したかのようにする「プラグマティズム」を成立させて、しばらく学者たちの知性的議論をさせ様々な批判を出させて批判が指摘する問題点を解決するものと錯覚させられてきたのです。
プラグマティズムは哲学ではありませんから、認識論はありませんし、世界物質と観念存在の実在論もありません。唯物論と観念論の区別や優劣関係もありません。精神論心理論も封殺させられています。
ですが哲学とは次元を異にする実用的で単純な人生訓や世渡り術、コトワザ、箴言など(「なんとかみつお」とかいう書家風の大衆意識刷り込み、日めくり箴言集のような)を集めたプラグマティズムをヘーゲル的に難解な理屈展開をして、分かったような学者(人)たちをそろえ、頭数と出版物の数の力で学門学術が継承され発展さるかのように世界を今まで騙してきているのです。
キリスト教が民衆に支持される活動も民衆の悩みに応える実用的な単純な人生訓と世渡り術、聖書の言葉(哲学ではない)など使ってきたから、それらの習慣が定着しているのです。
また精神科学(精神医科学は別)や心理学もこの類(事実認識と真実次元の階梯の違い)の「お話で」解決し救をれるかのように錯覚させる手法も、その別次元の実用の言葉となっています。
こうして哲学とは次元を異にするプラグマティズム理論と精神科学理論、心理学理論で、各学科の哲学的正当性を明らかにした原論(経済学原論とか政治学原論とか法学原論とか)の書籍がなくなってしまった。
つまり学術書はないのです。あったとしたらヘーゲル的に難解な理屈展開(世界の物的現象とその意識への反映をさらに物体に投影して、それを意識に再反映して、それをくり返す手法で複雑難解にしていく)して原論かのようにしたもので、分かったような学者(人)たちをそろえ、頭数と出版物の数の力で学門・学術が継承され発展さるかのように繕っているものです。こうなると何十年何百年でも批判も反論も、また間違いを指摘する意見も出ません。つまり研究発展はなくなります
現代の科学学術と人間知性は、こうこのような状態なのです。
人類が経験してきた知性主義と科学主義、学問・研究主義と、それを阻もうとする勢力と、それに対する愚民を望む宗教支配層、社会国家支配層の戦いが歴史的に続いてきましたが、この知性と人倫の頽廃からの歴史的文芸復興は、現代では必ずカント、ヘーゲル、マルクスの科学哲学の地点まで戻ったところから始められるでしょう。
その時から、人間的知性主義人倫主義が勝利して、その敵対勢力である世界の宗教と、愚民を望む最後の支配機構の資本主義が敗北させられ壊滅の道を歩まされするでしょう。人間は食べて生き残るために労働活動と意識活動と思考活動をするから、必ず人間的知性主義人倫主義を勝利させるのです。
以前投稿したエビデンス云々の価値観と判断基準につて書いたものが見つからないのでこちらに掲載したが、そちらと繋げた文章にすると哲学なき現代社会と人類には余計意味不明になるだろうから、こちらに投稿した。
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