時代は切迫し人々は真実と真理を求めている。

ユーチューブはそれを阻むのはやめるべき。


ユーチューブが私に対してこの(下の)番組を「お勧め」的に紹介してきた。きっとAIで自動お勧めするのだろうが、この間は目に余る。
AIだとしたらなおさら、見え透いた人間知性への混乱を意図した理論の蒸し返し洗脳策略*が腹立つのだ。で、ここに「私はバカではない」と言っておくことにした。

*このブログでもたびたびいったように、真実には階梯があり、現実社会や現実時空の「現象」「事実」をいくら記述しようが、その新聞記事や書籍を多数読もうが、電網で人々の意見を聞こう、それらが「真実」を求めていなければ何も意味はなく人間知性を豊かにはしない。
「現実」「現象」の砂粒を大量に集めても、自分の懐に蓄えても、それは川辺の砂なのか海岸のものか山の砂か、その判別をしようとしなければ、またそれを真面目に判断しようとしても、判断することはできない。
まして山全体のどこの砂なのか、海岸の全体を見たり海を見たり地球全体を見たり、全体の何処の砂なのか「真実」を見ることはできな。

また補足として下にも示したので、私が示す哲学の箴言である「世界(社会)を表す5つの姿」を読んでもらいたい。

以下を、この場(ユーチューブ番組の感想投稿欄)でライブ感覚で、内容を十分検討しないまま、直接書かせてもらう。(ここでは添削している。)

くだらなすぎる。

さて本題に入が、私がなぜそれほど腹立つのか、なぜなら人間と人類は生存ができないと自由ではありえないからで、それを無視することはあまりにも不自然だから、つまり悪意ある誘導だから直観的に腹が立つのだ。
自由問題を論じる以前の実際問題が沢山あるのだ。
生存の状態は自由論の根本的命題で自由についてまじめに考え思考活動をしようとするならこの自然的自由問題(生物全般が生存と種の保存のためい戦っている、自然の命題なのです)。を第一番目に検討せざるをえない。
そうして食料と衣食住が保障されないなければ、さらに衛生病気天災による被害や不幸から防衛する方法などの条件が満たされなければ、自由ではあり得ない。これもミルなどの「自由論」を論じる以前に検討しなければなら自由問題の根本的問題なのだろう。仏陀や仏教も「四苦八苦く」を示してその生存できない問題について思想活動をして探求している。

そのような自然問題に対して社会の農業問題などの産業や、物流経済合目的な状態がどうなっているのかといった、社会的自由の問題も真剣に論じた上えで自由について明らかにできるのだろう。

例えば移動の自由の問題も、その方法が徒歩しかないとか、カゴや自転車や車などとかで移動の自由が保障されているだとか、ロケットがある現代では現代水準の話にもならない。核ミサイルで何十万何百万人もの命が一瞬で失われるのに「自由の問題とは別だ」とでもいうのだろうか?

仏教やキリストや聖書も幸せについの教えなのだが、幸せのない自由など誰も求めていないし、命の保障と同様に「幸せも」自由問題と不可分の関係にあるテーマなのだ。
我々が仏陀やキリストなどが示した彼らの観念世界を十分検討する以前に、あるいはミルの個人主観開陳書籍を同水準に置いて、並べて検討しなければならない根拠はまったくないだろう。

賢く頭がいい、やるべき勉強の材料がなくなくなった者が、遊びでミルを読んでみるのは自由だ。
それを無意味だとはいわない。人間には遊びが必要だ。知的ゲームとして楽しんでもいいのだろう。暇な人は。

だが善良で真面目で、真摯に人間と社会などを探求している人々に対して、理論摂理(原理)を知らなことをよいことに、このミル以外にも小利口知識人による数多の主観開陳書物への誘導策略はやめてもらいたいものだ。

時代は切迫して真実と真理を求める人々が増えているが、ユーチューブはそれを阻むのはやめるべきだろう。もしやっていればの話だが。

ユーチューブは会社経営主体の主観では正義をやってるつもりかもしれないが、客観的には言論弾圧で「人間活動」と「発言の自由」や「表現の自由」「それらの機会均等の自由保障」を弾圧している。これに対して世界中に怒が渦巻き、その不条理不便が転じてtikuTokuが世界中の電網利用者の支持をえてしまった。
実際にロシアのウクライナ戦争では、tikuTokuに戦争勃発の経緯や現地住民による残虐な実態動画が活発に投稿され、その事実を知った世界国民によってユダヤ教徒世界資本主義支配層とそのNATOや米国、ウクライナによるナチス養護とその野蛮な人道犯罪が批判され、世界資本主義の戦争計画も暴露されたり、彼らが統制する国際マスコミの世界世論誘導も暴露され、その言論統制と誘導の効力を失わせて世界世論はロシア支持となってしまった。

このノートでもウクライナ支援を謀略宣伝したが、ロシア憎しの世界ヒステリックは起こらずに世界大戦への導火線の火付けは失敗してしまった。世界支配者と資本主義諸国は怒り米国議会にてぃックとっク経営者を呼び圧力を加えアメリカインターネットではティックトックはできないことにされた。その弾圧に折れたのかティックとっくも今ではウクライナ言論を統制し始め徹底弾圧している。
そうしてとうとうウクライナ戦争情報は彼らユダヤ教徒世界資本主義諸国世界大戦策略勢力(日本マスコミも然り)情報しか読めないことにされてしまった。
世界国民は肝に銘じて「世界大戦を阻止しようとしているのはロシア中国であり、反対に大戦を望み仕掛けているのは資本主義勢力である」と決めておくべきだろう。彼らは大戦と核戦争でグレートリセットを実現したいため、世界マスコミを使い「世界会議」などと詐称して、どの国民が選挙した正規の国家機関によって招集されたものではないし、国家機関の代表者が集まっているモノでもないのに、どこの馬の骨による招集でむりやり「世界」の名を語りパフォーマンスを既成化させている。
日本国民の多くはすっかりマスコミに騙され「世界会議だ」世界未来の進路が世界に(正式に)示されたかのように詐欺にかかっている。

ただ不真面目なのか、ヤクザなのか不明だが、その場を取り仕切る胴元(SNSなど)がだいぶ前の番組を今かのようにして「お勧め」に紹介したり、ミルの自由がどうだとか、、、。まことしやかに宣伝している。

そのほか様々な手段や手口が使われ、世界の知性は混乱させられ、その未来進路も概念不明な「グレートリセット」なる世界統一政府と国家にすることが既成事実かのように、巨大音響システムによって大音量で洗脳され始めている。

【世界的名著】自由論|J・S・ミル ~幸福が逃げてしまう…たった1つの悪習慣とは?~ 【世界的名著】自由論|J・S・ミル ~幸福が逃げてしまう…たった1つの悪習慣とは?~アバタローhttps://www.youtube.com/watch?v=dDyc3HFJzVo&list=PLw79LB-nUjWXNwlu0a1ZSXNGwQinGbNpk&index=5


補記
1,貴方が真剣に真実を求めているなら進言します。2023.09.14
現実界の現象は、目前の事実しかありません。
いくら事実を沢山話しても自身の知識に記憶しても、まったく別物だから真実と真理にはなりません。

知識と真実と真理、愛、幸せ家族社会不正政治事件戦争平和等々どれも「言葉」であり正しい概念と認識や意識にすることです。つまり現実界を正しく認識し正しい知識意識認識概念を獲得するすことこそ真実と真理を獲得することなのです
現実界と言葉と観念の世界は別物ですから電網でその「事実」を数多~無限大に読んでも、聞いても、書いても、投稿しても、一生かけても、真実は掴めません。
新聞を読んでいてもTVを見ても無駄だし、真実の「証明」「証拠」にはなりません。
そのことを哲学なき法学者も裁判所も倒錯しているのです。

もし新聞記事やTV報道が示すものが現実界とその証明・証拠になるなら、学問も真実、真理はいらないことになります。
それらを知らない哲学なき米国とユダヤ教徒やFB、Twitterなどは様々が、新聞記事を確認しましょうだとか、現実事実の証明・証拠だと言ってるし、バンしたり言論弾圧してるのですから救いようがありません。
その判別ができないAIも同様ですが、ほとんどの人がAIを信じているのですから、人類は特定勢力がそう仕組んだように破滅するでしょう。
シュワブとかいう者もそれを言い証明(2つの意味)しています。

補足
2,①社会の姿は5つある。
1.個人が日々生活体験する時空。
2.報道記事が描き出す社会。
3.社会・科学が示す社会。
4.宗教が作り出す社会。
5.哲学が示す社会。
これ以外の姿はあるだろうか?これを読んで気付いだ方はぜひ教えてほおしい。
いずれにっしても本当の社会は何処にある?。 だからこれを知った哲学は世界(自然、人〜宇宙)に共通する原理を探求してきた。 その原理知識がなければ社会の姿は観られない。

世界中で、真理を説くものは哲学と宗教しかない。
各学科学問も専門別に真実と真理を探求してるが、哲学と宗教の真理は世界を包括する共通原理を示す。
そのうち哲学の真理は研究批判訂正を繰り返しより正しい真理へ改編し、それを各学科に補完させる人類智の大系を創っている。 宗教の真理は、各宗教ごと自分の教義こそ唯一の真理だとして他の宗教の真理を認めない。
それぞれの真理は研究批判も経典の訂正もしない絶対的なものとしてある、誤りを訂正せず発展しない。
こして各宗教分がいう多数の真理がある関係になり、それらが一つになることはなく、自分こそ絶対と相争う関係となる根本的矛盾がある。

全ての個人は、自分の寿命まで知識を貯めても満杯はない。
だかだから世界の多面を各学科の知識が書き留めて、知識の蓄積が実現した。
学問が無かった昔は、人間は人間と社会と自然や宇宙といった世界の一切を知ることができず、宗教がその解釈を与えてきた。
哲学が生まれ、学問として世界を包括し、その共通原理を書き留め、間違いを訂正して知識を蓄えてきた。

補足3,
自分が向かう目的地を知らずに歩く人はいない。
だから人類が歩み始めたときも、目的地はどこかその時のから探し始めた。 宗教は神の王国や天国や浄土を想定した。 哲人は科学的に措定し、理性の王国や人倫の王国、自由の王国だとした。 物的証拠を上げて証明したのは自由の王国だけである。
その人類が歩み目指す目的地を知らないで、自分の人生を歩む人々は、道を歩いていても自分が向う方向を知らず無闇矢鱈に歩き続けているのと同じであり、今こそそれを自覚しなければならない人類史の時代になっている。

①社会というものも知らず、②宗教と哲学の違いを知らず、③真理というものを知らず、④自分の人生で歩み行く目的地も知らそ行く目的地も知らないのが現代人だ。 ⑤の哲学も知らない。
知っている者でも現代は情報が錯綜している。 例えば言葉の『愛』も、神や仏陀キリスト、賢人たち使う言葉の愛と、小学生や中学生の愛も同じ発音だし字だから見分けが付かない。
日本国民は表現の自由、発言の機会均等という原理の価値観で、どの言葉も話も同等等価に扱う倒錯習慣に陥ってしまった。
実際に愛を歌う流行歌が広がり、多くの人の同調や理解となっているからこそ流行ってるように、大方の青壮年の愛の意味内容(仏陀キリスト賢人たちとは別な愛)はそれらと同じに理解して、自分は解っていると慢心することになっていることでしょう。

人間たちを救う言葉がけは『愛』『真理』しかありません。だから 哲学から現在世界と日本を見ると、愛と真理がない地獄であることが分かるのです。

補足4,
現実界とインターネットにある情報の、現実界の「事実」の砂粒は無数にあるが、それを溜め込んでも、山のものか海岸にある砂かは永遠に解らないだろう。 いくら知識を得ようが山積みにしよが、頭脳から溢れさせようとも、さらにAIに蓄えようとも、その砂粒があった、またある山と海原と空と世界と宇宙を知ることはできないのです。
社会の「現実」とその「事実」の砂粒や小ネタや、たとえ「事実」ではなく真実を探求する諸科学学問の「真実」の小ネタと砂粒を記憶し蓄えても、なんの意味もないことに気付かなければならない。

そのことを知ってる哲学は、人類が世界を正しく見たり認識するのは「三者の合一」の課題に解を得なければ(正解)ならないと、百年ほど前から提起しているのですが、それを得ることができないでいます。(広い世界にはすでに示されているのかも知れませんが、)
うえの私の哲学箴言である「社会には5つの姿がある」はその地点を示す哲学の課題に答えを示すものとして、それはまた人類知性史の時代区分として示すものです。「汝自身を知れ」と箴言をうけ「社会には5つの姿がある」ことを知るなら、答えを得られる、自分自身を知ることができることを示したものです。

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