インターネットの言論の自由を勝ち取るために。自由の敵は私達の目の前に居る

インターネットの言論の自由を勝ち取るために。自由の敵は私達の目の前に居る

https://vt.tiktok.com/ZS8Tk7rk7/
案内の動画はアフリカの部族か民族が儀式等で乳房さをそのままにして踊るものです。
この動画をTikTokや他のビックティックやノートなどの言論と情報の監視統制担当者に見せたい。
人類の歴史で女性が乳房を隠さない時代は何十万年もあり、今の隠す文化が特殊異常な「瞬間の時でしか」なのだということを知るべきだ。
(寒冷地帯は別だろうが、どちらにしても衣服の防寒ができるようになってから人類は寒冷地に移動できたのだろう。)
日本でも戦後までは街中て乳房を出して授乳したり、夏に中年女性が胸を開けて夕涼みをしていても卑猥でもなく、禁忌でもなかった。

乳房イコール卑猥という愚劣な感性と価値観は誰が作ったのか、しかも今や女性の胸を示す映像も言葉も規制し統制するなどは陳腐そのものであって、
TikTokなどは私が「猫のオッパイ」と書いたら猫動画の意見投稿を削除するありさまなのだ。

この歪んだエロス感覚と禁忌意識や思想が電網を席巻したら、子供に向かって『鳥にはオッパイがありません、おおよそ哺乳類にしかないのです。』とかも電網では言えないことになる。

今の人々の倫理観や道徳観、言葉に対する感性などが、そのぐらい陳腐化しているのです。
もうしばらくで、文芸や芸術も成り立たなくなるでしょう。

それらは自分たちの無知と歪んだ感性(資本主義だからこそ生まれた)から作った価値基準であり価値観観でしかなく、今後の人間と人類の知性は人間の愚かな極地の代表的実例とその実証とするでしょう。
資本主義の売らんがための、さらにその入り組み妄想が生み出す卑猥とエロスの価値観が、その崩壊間近の時にはこれ程愚劣化していたのだと、未来人を呆れさせるでしょう。


愚かな者たち、哲学者の意見を聞け。

法理論でさえその判断基準を哲学者が根拠を与えたのだ。
近現代諸国の法文は、へーゲルの法哲学が与えているのだ。

その理論なくして法文は陳腐化して、法理論を歪めた現代のように、社会的実用の効力も無くなるのだ。
こうして庶民の前にも哲学なき資本主義の本質が顕になり始めることになったのだろう。
芸術論の価値観と評価基準としての規制的法的基準と、美醜善悪などの判断基準については、哲学理論は未解明であり、三者の合一の課題と不可分に連関してして、資本主義が革命され社会主義国家から共産主義社会へと進むなかで明らかにされていくだろう。

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