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【躁鬱からもらったもの】#4 謎の自信

就活?上手く行くって。

専門学校最終学年。
この頃も相変わらず痛めな勘違い野郎でした。
卒業制作の写真撮影のため、年末年始に九州に飛んでいき
そこで撮影した写真の選定と冊子制作に追われる日々…
もう職人にでもなった気分ですよね。徹夜作業上等。
作品を完成させるまでは、他は全て後回し。
周りは着々と就活を進めていましたが
この時のハイな私あろうことか
「作品に集中できない原因になる就活なんてなぜ今やるの?」
など相変わらず勘違いやろーを続けていました。

軽躁の中に躁がちらちら見え隠れするのもこの頃でした。
「作品のため」と言い散財や不穏行動が増えてきたんです。
曰く、撮影のモチーフのため旅行に行く(予算立て皆無)
曰く、特急料金がかかるとわかっても作業やめない(スケジュール性皆無)
曰く、同室展示のメンバーにやたら噛み付く(社会性の崩壊)
友達からは「ちょっと頑張りすぎでは利かない気がする」など
言われていたようです。
ただ、周りの評価は良かったので、もう止まりませんでした。

気づけば卒業式でした。
燃え尽き症候群どころか、頭の中は以前お花畑のまま。
「これだけ成果が出ているんだから、推薦くらいもらえるでしょう」
万能感って恐ろしいですね。
そして案の定、どこにも何も決まらないまま学校生活の幕は閉じたのです。

こんなすごい私はフリーランスでもやっていける

卒業を経て激躁期間はひと段落したようですが、
相変わらず軽躁は生き残っていたようで、しばしば奇行も。
この頃は週3のカメラ屋のバイトをしていて、
(運の悪いことに)奨学金の備蓄もそれなりにあったので、
「これを元手にフリーランスでバンバン仕事とって上手く行く!」
…どこにも営業かけていないのにどうしてそうなったのでしょう。
この時は友達や心配した学校の先生からいくつかお仕事を頂いたのですが、
私の傲慢な態度のせいでどこからも来なくなりました。
この頃もまだ軽躁が続いていたのか、
最低なことに逆ギレしていた時期もありました。人としてどうかしてる。

そんな生活は意外と長く続き、3月に卒業して11月まで。
実家暮らしなこともありのんべんだらりと過ごさせてもらっていました。

しかし専門の友達と遊ぶ機会が何度かあるうち、
フリーターをやっている自分に嫌気が差したような気がします。
急いで即入社OKの会社に応募しました。
それが9年続いたブライダルの会社でした。

次回は社会人の洗礼の話をできればと思います。

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