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「期待しているよ」ではなく「応援してるよ」でありたい

時折、「期待しているよ」という言葉をかけられる。「若い人が頑張っているからエールを送りたい」という、その気持ちには感謝しつつ、「でも、期待しないでください」と返事をしている。

期待という言葉の先には「期待に応える」もしくは「期待を裏切る」のどちらかしかない。「期待している」というのは、「俺が望むような結果を出せ」と行っていることとニアリーイコールである。結果、「期待してやっているのに、期待した通りに動いてくれない(プンスカ)」ということになりかねない。
勝手に期待をかけられた側からしてみれば、「そもそもあなたのために頑張っているわけじゃないんですけど?」と、なる。
他人に期待をする人は、片想いのストーカーと心理状況が近い。「僕がこんなに君のことを好きなのに、なんで君はそれに答えてくれないんだー!」的な。で、グサっとサスペンス。。。「毒親」もこれに近いかも。

「期待しているよ」を言っていいのは、お金を払って仕事を発注しているクライアントか、投資家か、金銭の有無を問わずいろんな便宜をはかっているパトロンくらいなものである。
そういう人に対してならば「はい、頑張ります!」と気持ちよく答えられるものだ、いや、答える義務がある。

そんなことを思っているので、私から他人に「期待をしているよ」は絶対に言わない(発注者の立場であれば言う)。代わりに言うのは「応援しているよ」という言葉だ。

「応援しているよ」と言う言葉は少しばかり責任が伴う言葉である。
「じゃ、〇〇を協力してくれませんか?」と頼まれたら「おうよ!」と男気見せて答えなければならないから。答えなければ「なんだ口先だけじゃないですかぁ」となってお株が下がる。
そう言う意味では、「期待しているよ」と「応援しているよ」は正反対の結果を招く言葉だ。

願わくば、「応援しているよ」と言ってくれる人と繋がりたいし、「応援しているよ」と言える人と繋がりたい。

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