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喜屋武悠生について

喜屋武悠生と出会ったのは、もう12年も前のことだ。
早稲田大学戸山キャンパス。屋内プールの換気口から塩素臭い湿った空気が流れ入る20名ほどの教室だった。大学1年生前期科目として、全ての新入生が履修する基礎演習と基礎英語。数多あるクラスのうちで、同じクラスに割り当てられたのは全くの偶然だった。

勉強ができるタイプではなかったと思う。だが、常に人の輪の中にいて、学内にあって交友関係の広い人間だった。早稲田の名物授業と評されるユニークな授業の数々は、『マイルストーン』ではなく喜屋武情報を参考にして受講したものだ。
情報学演習、大隈塾、自己表現論、自分経営ゼミetc...ドキュメンタリーの授業を一緒に履修して長野まで日帰りバス旅行したこともあった。
いつかの彼の誕生日を、逗子海岸を見下ろす共通の知人の別荘で祝ったこととか、逆に私のいつぞやの誕生日には歌舞伎町のBar HANAで朝まで飲んだこととか、喜屋武との思い出を振り返ればキリがない。
吉田修一の『横道世之介』の主人公と似ていて、いろんな人が喜屋武との思い出を語っているに違いない。

喜屋武はミヒャエル・エンデ『モモ』に出てくる主人公・モモと同様に、資本主義市場経済のメインストリームからは逸脱した性格だ。沖縄が育んだのか、うちなータイムの時間感覚。「成長」や「拡大」、「努力」という言葉は似つかわしくない。それが私を含む多くの人間にとって救いになっている面もあるのだと思う。

大学3年生の終わりまでの私は、挫折知らずで上昇志向が強いタイプだった。だから性格の面では重なるところは多くはなかったはずだ。友人関係としても、そんなに深くはなかったと思う。
だが、就活で挫折して自分を失って下ばかりむいている時、ふと視線を上げた先にいたのは喜屋武だった。1年ぶりくらいに会って、中央図書館裏の寿司屋「梁川」で海鮮丼を食べたあの昼が、自分にとって人生のターニングポイントだったと思う。彼の周りの世界に身を置くことで、だんだんと見える景色が色を取り戻していった。
当人が意識しているかはわからないが、彼の存在に救われて、今の自分があることは確かだ。心から感謝しているし、彼の幸せを心から祈っている。

この文章は、そんな喜屋武の誕生日に送る、私から彼へのラブレターだ(※男色ではない)。
この先の人生がどうなるかわからないし、彼との付き合いも密な時もあれば、疎な時もあるかもしれない。ただ、苦しい時にこそ、側にいたいし、いてもらいたい。そんな風に思う。

まずは、キャンポークとハイボールで乾杯できる日を、楽しみにしている。

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