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それでも私は、「支援者」という言葉を使い続ける。

対人支援を職業として、あるいは事業として行う際、その支援対象者および支援者を組織内や対外的な場でどのように呼ぶかというのは、支援者側の一つの「悩みどころ」になったりする。

というのも、「支援者」(あるいは「被支援者」)という語彙自体が、支援を「与える者」「受ける者」という関係性を想起させ、支援業界そのものに対して向けられる「『支援』は持つ者が持たざる者に対する施しであり、持たざる者の羞恥心を新たに生み出す行為である」という批判を先鋭化させてしまいかねないからだ。

こうした「支援」の暴力性を回避すべく、支援団体は自らを、またその支援対象者への呼び方を「工夫」してきた。

まず、支援団体が対外的に団体紹介などを行う際、「私たち支援者は…」という表現はあまり使用されない。単に「私たちは」であったり団体名がそのまま主語として使われることがほとんどである。

支援者側自身の呼び方については、このように「支援という言葉をあまり使わない」という(ある意味控えめな)戦略で「支援者」/「被支援者」という構図が全面に出てしまわないように配慮されていると言えるが、「被支援者」への呼び方となるとその「工夫」がより顕著なものとなりがちだ。

例えば、筆者が従事するホームレス支援の業界では、当然「ホームレス当事者」といった言葉が用いられることは珍しくないが、そもそもこの「ホームレス」という表現を外し、単に「当事者」と表現されることも少なくない。

これは、現在の日本では「ホームレス」という言葉が社会的には侮蔑的な眼差しの対象として認識されやすく、そういった意味合いを対象者が受け取ってしまうのを避けるためだろう。

また、ホームレス当事者が(一方的に救済を受ける受動的な存在ではなく)対等な市民であることを明示するために「仲間」という表現を用いる団体や、ホームレス当事者が年配であることが多いことから、年長者への敬意を表現すべく、「センパイ」という表現を用いているところもある。

このように、支援団体によるホームレス当事者の呼び方は様々あるが、いずれもその根底には彼らを社会の一員であると積極的に承認することで人間としての尊厳を取り戻そうという動機があるように思う。

こうした「工夫」の意義については改めて言及する必要もないかもしれない。貧困当事者、とりわけホームレスの方はこれまで徹底して差別的な表現(Pワードと呼ばれる)で他者化されてきた。

イギリスの貧困研究者であるルース・リスターは、貧困当事者が社会的に様々な不承認を経験することで、「意見を言うこと」自体を躊躇するようになってしまうことを「声の剥奪」として指摘している。

上述した支援団体による様々な「工夫」は、貧困当事者をとりまくこうした他者化を乗り越えることを念頭におかれたものであると考えてよいだろう。

他方で、筆者はこうした「他者化を乗り越えるための工夫」が、貧困当事者をめぐる別の位相における問題を見えにくくしてしまう危険もあると考えている。

というのも、いくら支援側が支援対象者に「わたしとあなたは対等(あるいはあなたのほうが立場が上)な関係である」と言葉で示したとしても、「実際に支援を行ううえで両者は少なからず非均衡な権力関係にある」という事実がなくなるわけではない。

一般的に言って、支援する側は被支援者よりも多くの資源と情報を持ち、また「支援を開始するか/継続するか」という判断も支援者側の手中にある。

こうした資源・情報・決定権の違いがある以上、被支援者は支援者による選択肢の提示を拒否しにくいバイアスが多少なりとも生じてしまうということは往々にして起こりうる。

有り体に言えば、支援者と被支援者は構造的に「対等ではありえない」のだ。

だからこそ、支援者は常に被支援者に対する自らの言動や支援の過程が被支援者の意思を無視したものになっていないか、構造的な権力関係によって抑圧的な対応になってしまっていないかを再帰的に検討、内省すべきなのである。

「支援」とは常に暴力的になりうるという事実を忘れてはいけない。

その意味では、支援者があえて自らを「支援者」、相談者を「被支援者」と位置づけることの意味も確かにあるのではないだろうか。

何故なら、「支援者/被支援者」という言葉をあえて使い続けることによって、両者が構造的に対等ではないという(無視してはいけない)事実を胸に留め置くこともできるからだ。

最もこわいのは、実際には両者は対等でないにもかかわらず、言葉上だけでそうした権力関係を脱構築・曖昧化してしまうことで、支援者側の抑圧性・暴力性が不可視化されながら延命されてしまうことではないだろうか。

貧困当事者を尊厳ある存在として承認すること、またそのために呼び方を工夫することの意義は間違いなく大きいが、その過程で「より大きく見えづらい暴力性」に対する社会的視座が失われてしまわないように気をつけなければならない。

一「支援者」として、自戒を込めて。



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