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「働かざる者食うべからず」を、制度として実際にやってみた結果

貧困や社会保障をめぐる議論のなかで、繰り返しなされる論点として、
「最低生活保障は労働能力のない人のみを対象にすべきではないか?」というものがある。
いわゆる「(健康なのに)働かざる者食うべからず」というやつだ。

まあ、こうした意見が出ること自体は不思議ではない。
「働くことができない」という説得力のある高齢者・障害者福祉に対して、障害者手帳などをもたない若年層の貧困が共感されづらいということだろう。

そこで今回は、「最低生活の保障の条件として、労働能力の有無を問うこと」について考えてみたい。
この問に対して、歴史上の先人たちはどのように向き合ってきたのだろうか?
この点を考えるうえで、「貧困がどのようなものとして考えられてきたのか」というのが一つの大きなポイントとなる。
今でこそ貧困は社会の構造上生じる問題であると(少なくとも貧困研究者のなかでは)合意されているものの、このような合意に至るまでは政策の失敗を含む歴史的なプロセスがあった。

100年前の貧困観と、イギリス政府の「愚策」

遡ること400年前、法律による公的扶助の最初の形態は1601年にイギリスでエリザベス救貧法として始まった。
ところが、19世紀に生活困窮者の増加によって必要となる救済費が激増したため、生活困窮者を減らして救済費の増加を抑えることが政府にとっての喫緊の課題とされた。
そこで当時のイギリス政府は、救済の方法として生活困窮者に直接給付(居住地に関係なくお金を給付)するのをやめて、過酷な労働を強いる労役場内(ワークハウス)での救済に限定することにした。これがいわゆる「新救貧法」である。

給付を過酷な労働に限定し、それ以外の救済をやめれば、

「働けるのに公的な救済に頼って働かない怠惰な貧民」が過酷な労働を嫌って一般の労働市場で働くようになる→生活困窮者がへる

…と考えたわけだ。
                                  
ところが「救済の引き締め」政策にも関わらず生活困窮者は減らなかった。

なぜなら(当時のイングランド南部のように豊作で農場などに)労働需要があるような地域では(救済を打ち切られた人を雇用できる条件があったため)一定の効果をあげたものの、そうでない地域では救済を打ち切られた人がそのまま生活困窮者になったからである。

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貧困観のパラダイムシフト

なんというか、まあ当たり前の話だ。
労働市場に手を付けることなく給付の引き締めを行えば、労働意欲や労働能力の有無に関わらず労働市場で働き手としての価値を評価されない(=雇われない)人たちは、労働にありつけず生活困窮者となってしまうに決まっている。

それでは当時のイギリス政府は何故このような政策を行ったのだろうか? 

実は、当時のイギリスでは「貧困とは個人の生活習慣や意欲の問題である」という考えが一般的だったため、労働市場と個人の関係といった、社会構造という視点から貧困の発生を考えるという発想自体がなかった。

しかしその後、「科学的貧困調査の創始者」チャールズ・ブースが1886年から1902年にかけてロンドンの貧困の実態・原因を調査し、貧困が飲酒・浪費などの個人の習慣の問題ではなく、不安定な労働・低賃金といった雇用の問題や、居住地の衛生問題などの環境の問題であることを科学的に証明した。
以来、社会構造との関係で貧困を捉える研究が蓄積されるようになり、そのような貧困観に基づいて社会保障制度も発展させられてきたというわけだ。

強制労働の運営はカネがかかる

こうした歴史を振り返ると、最低生活保障においては、本人の労働能力や労働意欲の有無といった個人の責任を強調するのではなく、労働市場の状況といった社会の構造を問うものでなければならないことが分かる。

さらに、「生活困窮者に直接給付(居住地に関係なくお金を給付)するのをやめて、過酷な労働を強いる労役場内での救済に限定」した政策によって、イギリスはある教訓を得る。
それは「生活困窮者をワークハウスで管理するより、労働の有無や居住地に関係なく直接給付したほうが社会保障費が安くつく」ということだった。

当時のイギリス政府の狙いの一つに、「困窮者を労働に強制的に従事させれば、そこから一定の利益をあげることができ、ある程度社会保障費を相殺できる」というものがあった。
しかし、当時の困窮者も、今でいう精神疾患など様々な社会的不利や生きづらさを抱えた人たちも多く、社会的なサポートなしに直ちに生産力を発揮できる人ばかりではなかったのである。
結果的に、ワークハウスの運営・維持にかかるコストに生産力が追い付かず、「給付するだけのほうが安くつく」という皮肉な結果になってしまった。

いまだに「若くて健康なやつは、社会保障を引き締めれば焦って働くようになるし、社会保障費も削減できる」という声を聞くことがあるが、これは、100年以上前に実際に行われて大失敗した愚策である。
そんな話を2020年の現代でするのは、もうやめにしていただきたい。

(今回の話は、右田・高澤・古川編(2012)『社会福祉の歴史―政策と運動の展開』 有斐閣選書 を参照しています)

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