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  愛 地球 希望 ハッピー💜

      地球🌏


     闇に輝く光


福島浜通り、福島第一原子力発電所5キロ圏内に一つの教会があります。この度の東日本大震災では、
地震、津波、原発事故による幾多の苦難に遭遇しながら、かつてこの教会に集まっていた地域の人たちは、北海道から沖縄まで、全国各地に散らされ、
避難生活を余儀なくされています。彼らは、思いもかけない激動の日々の中で、何を体験し、感じ、見たでしょうか。

福島第一聖書バプテスト教会牧師


           佐藤 彰さん



これは悪夢か

 3月11日の東日本大震災。その日は奇しくも、
私の誕生日でした。地震、津波、それに続く原発事故。穏やかな日常が一変しました。家も地域も教会も喪失し、町で暮らすすべての人が、赤ちゃんからお年寄りに至るまで、一夜にして否応なく故郷を追われることになったのです。ある人は、自衛隊のホロ付きトラックに乗せられ、12時間揺れながら、振り落とされないように必死でいすにしがみつき、こごえる福島の闇の中、毛布も食料も行き渡らない避難所へとたどり着いたのでした。
 まさか、現代の先進国日本で、そのようなノンストップのサバイバル逃避行に巻き込まれようとは、思ってもいませんでした。その後、教会にふだん通っていた人も、そうでない町の人も一緒になって、60人余りの者たちは行く当てもない放浪の旅へと繰り出したのでした。不思議な旅物語の始まりです。


その名も「福島第一」教会


 私たちの教会は、福島第一原子力発電所ができるはるか以前に建てられました。第二次世界大戦直後、アメリカから宣教師が来て、キリスト教の布教をしたのです。
 当時、その宣教師が所属するアメリカのバプテスト教会の伝統から、「福島第一聖書バプテスト教会」と命名されました。結果的に、福島第一原子力発電所と名前が似たことになりましたが、少しの不思議を感じています。現在私たちは、自宅や教会のある故郷にかってに入ることが許されていません。
けれどやがて、あの懐かしい野山に立ち、思い出のしみこんだ故郷を見つめ、教会の扉が開かれる日を夢見ています。
 私たちは、原子力発電所のそば近くに建つ教会として、必死の思いで、過酷な状況のもとで原子力発電所で働いている作業員やその家族のためにも、
祈りをささげています。


心は揺れても


ところで、当初突然家を失い、着替えも貯金通帳も持たずに旅に出た私たちは、気がつくと「ありがたい」が口癖になっていました。食事ごとに「食べるものが与えられて、ありがたい」とか、
「着るものが支給され、ありがたく頂きました」とか。人情の機微に触れて、自然と涙腺がゆるみ、幾度も心が震え、涙が出ました。当初、雑魚寝であっても、布団で横になることがありがたく、5日ぶりに暖かいものを口にしては、感激しました。
 そして、いつしか気がつきました。生きるのに必要なものは、そう多くはないということを。
私たちはこれまで多くの人々に助けていただきましたが、あまりにそのような機会に会うので、もしかしたら私たちは、被災してたくさんのものを失ったけれど、もっと多くのものを得たのかもしれないと考えるようになりました。間違いなく私たちは、
神の愛に包まれ、人々のぬくもりに支えられて、こ
こまで来ました。苦しみましたが、数多くの幸せに出合いました。
 地方、集団での避難生活は4ヶ月(2011年7月現在)を過ぎ、震災がもたらした過酷な現実と直面しています。時の経過は日に日に重く肩にのしかかり、まるで真綿で首を締められるような息苦しさを感じてもいます。職場は次々に倒産し、人々は職を失い、疲労はとうの昔に限界を超えています。
夫婦や親子も、身を寄せた先の親せきとの関係も、
どこか何か以前と違うことを感じています。
 「全力でマラソンをしているようなものですよ」
とは、ある方の表現ですが、あの大震災の渦中、
だれも、全力を出さなければくぐり抜けることは難しかったでしょう。とはいえ、いつまでも限界点を超えたまま走り続けるわけにはいきません。
このままだと、心も体も疲れ果て、壊れてしまいそうです。
私たちは、長距離に耐え得るペースのシフトダウンが必要です。
 ところで、いったん失ったものを追いかけ始めると、決まって心はうつろになります。鋏状格差ということばがあることを、初めてしりました。
被災時点では同じスタートラインにいたのに、やがて復興景気によって以前より元気になっていく人々と、ひたすら悲しみに暮れる人々との格差が、はさみが開くように、大きく広がっていくというのです。もしもそうだとするならば、私たちも気をつけなければいけません。心しないと、ひたすら負のスパイラルにはまっていきそうです。
順々と復興が進む他の被災地を見ても、決して諦めないよう、心のコントロールを心がけましょう。
 2010年、南米チリで、地下700メートルに人々が閉じ込められた落盤事故が報道されました。
世界中が息をのんで見つめる中、見事に全員が救出されましたが、あの時、地下700メートルで年配のオマールさんは日々聖書を開き、希望を捨ててはならないこと、神を信じてこの難局を乗り切るべきことを説きました。
私たちも神を信じ、力を合わせて、何としてもこの難局を乗り越えたいものです。泣きたいときには泣くのがいいそうですから、この際50年分でも一生分でも泣いて、そのあとに立ち上がりましょう。



鋏状格差(きんじょうかくさ)とは

https://www.google.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/daikuro/entry-11066216604.html


聖書の神は痛みを知る神


 聖書は、神が苦悩する人間をほうっておかず、人々を救うために、ひとり子イエスをこの世界に送られたと教えています。その方は、「悲しみの人で、病を知っていた」とも記しています。
次のことばは、その方に関する最も有名な聖書のことばです。

 神は、実に、そのひとり子(イエス、キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 私はある日、避難所から他の避難所に物資を届けようとしました。けれども、突如自分の心が耐えられなくなり、思わず避難所から飛び出してしまいました。その時、自分の心が傷ついていることを知りました。自らがおぼれながら、他のおぼれる人を助けることはできないことを知りました。
 神のみが、私たちおぼれる人間を救い、助け出すことがおできになります。
そのひとり子であるイエスを、私たちの世界にお送りくださったほどに私たちを愛しておられる神。
イエスは、滅びゆく人間の罪を十字架上で赦し、救い出すためにこられたのです。


 痛みと悲しみが満ちる闇の世界に飛び込んで来られ、世を照らす光となられたこの方を、今も苦悩する私たちの救い主として、心の中にお迎えしようではありませんか。


 すべて、疲れた人、重荷を負っている
 人は、わたしのところに来なさい。
 わたしがあなたがたを休ませてあげよ
 う。
          イエス、キリスト


祈りましょう


 「天の父よ。被災で苦しむ人々と私たち           
  どうか助けて下さい。
  いつかこの痛みのすべてが、
  喜びに変わりますように。
  心の扉を開き、
  今、イエス、キリストを救い主として
  私の心の中にお迎えします。
  どうか、すべての闇を照らし、
  私の罪をお赦しください。
      アーメン(心から)」


福島第一聖書バプテスト教会牧師
佐藤 彰(さとう、あきら)牧師のプロフィール


最後に


ここまで、ご試読いただきありがとうございます。
私、平野もクリスチャンの端くれではありますが
仕事全般非常に、主から助けられていますし
何の重荷も無く、楽しく仕事に励んでいます。
すべての私の人生を、主に委ねました。
それからというもの、どんな苦難や無理かという
難問さえも、解決して下さる。
素晴らしい救世主こと  主です。
佐藤牧師のような、苦難の経験はありませんが
この思いを伝えていかなければいけない。
1人でも多くの方が救われて
主の恵みの中に預かっていただければ、
幸いかと感じています。
主は、私に聖霊を満たされて、
ここまで皆様方にお伝えする事を
お手伝いして下さいました。
とても、私1人の力では成し遂げれませでした。
ありがとうございます。 主。
偉大なる主に感謝いたします。

アーメン はれるや あば父よ



https://note.com/shinmaho2009/n/ne281682913d8


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/主の祈り


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