子供の頃に住んでいた場所に行ってみた
一周目のアーティスト・デートということで、
子供の頃に住んでいた場所に行ってみました。
「アーティスト・デートって何?」という人は
こちらの記事を参照ください。
産まれてから高校3年まで住んでいた家は、
立ち退きしたため、跡形も残っておらず、
今は病院の駐車場と変わってしまってます。
その場所から通っていた小学校まで
向かってみました。
元の那覇市民会館。
小学校の写生大会で、誰もが一度は描いたかも。
竣工年1970年なので、小学校の頃は築10年。
その頃はまだまだ新しい施設だったんだな~。
歴史的建造物として保存して活用できるよう、
検討委員会もあるようなので期待したい。
現在の沖縄赤十字病院の裏から、
小学校の裏門に続く小さな坂。
坂の通り沿いに芝生があって、よく遊んでいたんだけど、
「放射能があるから遊ばないで!」
と大人や先生に注意された覚えがある。
遊ばせないためのハッタリなのか、
本当のことなのか、今となっては知る由もない。
小さな坂を登った付近の風景。
レンガの壁と、その先にある真っ赤なポスト。
全く変わってない。
通学していた小学校の裏門。
右側に門があるが、40年前は正面に門があった。
正面にはプール(かな?)が出来ているようだ。
私の時代にはプールがなくて、
近隣の小学校にプール遠征に行ったのを思い出す。
小学校をグルっと回って、もう一つの裏門に来てみた。
この校舎は在学中に建設されたもので、
理科室とか音楽室があった記憶がある。
トランペット鼓隊に入っていて、
音楽室には良く行ったな~。
理科室と言えば、
理科の先生がエロ本を引き出しに入れてたのがバレて、
問題になったことがあったっけ。。。
風景は40年前と変わっていない。
タイムマシンで戻った気分になる。
この左側にある古ぼけたアパートの先には
家の裏側の空き地があった。
塀を乗り越えるとショートカットできるので、
毎日のように通ってた。
このアパートがまだ残ってることにも驚かされる。
ガラス工場通りと言われていた通り。
ガラス工場も無くなってるけど、
今でもそのように呼んでるのだろうか。
残ってると嬉しいな~。
この右にあるレンガの壁の住宅、変わってない。
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そんな感じで散策してきました。
建物は路地裏の雰囲気など、
40年前とほとんど変わっておらず、
タイムスリップしたような感覚です。
スケールが小さくなった気がするのは
大人になったからなんでしょうね。
この散策で大きなインスピレーションなどはありませんが、
古い記憶を呼び覚ましたということで、
何らかの創造性が高まったかも知れません。
残り11回あるので、楽しみに続けます。(^^
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