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七色のポエジー(書きとめておきたい古今東西の詩句)

第276回 たたかいの国(山田風太郎)

風蕭々、上野駅頭、風声さむく、
ますらおは一たび去ってまた還らず、
ひた急ぐ人びとすべて歩みをとどめ、
声のみて頭をたるる駅の一隅、
墨のあといとも哀しき英霊安置所。
灯は淡く、香煙蒼く、
白き遺骨箱(はこ)三つ、たたかいの国や。
 
 昭和の作家、山田風太郎(本名は誠也、1922~2001)の「たたかいの国」の最終連。『戦中派虫けら日記』(1994年刊行)の1943年1月6日の頁に記載される。山田はこの日、勤め先の同僚の出征を上野駅に見送った。
 山田は現在の兵庫県養父市で生まれた。父母とも代々医者の家系で、山田の父も開業医だった。5歳で父を亡くし、豊岡中学在学中に母も病死する。卒業後上京し、沖電気の軍需工場で働きながら受験勉強をする。戦時下の1944年、晴れて東京医学専門学校(現・東京医科大学)に合格した。
 中学時代から小説を書き始め、何度か雑誌に掲載された。医学生時代に雑誌『宝石』の懸賞に応募した短編『達磨峠の事件』が入選し、作家としてデビューする。医学校は卒業するが、ミステリー作家の道を選んだ。
 1958年に発表した『甲賀忍法帖』が空前の大ヒットとなり、戦後を代表する娯楽作家としての地位を築いた。


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