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地球外少年少女感想 -AIと人類の共生をテーマに、現代人への警笛を鳴らした-

地球外少年少女を見た

地球外少年少女がもうとにかく最高に面白かった。

私は元々電脳コイルが好きで磯監督の15年ぶりの新作というのだから期待値がかなり高かったのだが、視聴後の満足感はその遥か上にぶち上がっていった。

今回は自分なりの地球外少年少女解釈を書いてみることにした。

というのも、考えることそれ自体がこの作品へのアンサーだと感じたからだ。
※ネタバレを含むので未視聴の方はご注意ください

終始ポジティブな雰囲気で展開されるのでアニメとして楽しめる一方で、深いテーマを見る人に感じさせる内容だったと思う。

私にとって地球外少年少女は、AIと人類の共生をテーマに、現代人への警笛を鳴らした作品だったと感じられた。

地球外少年少女はどういう話だったか

私の解釈はこんな感じだ。

知能リミッターのない時代、最初のセブンは人を遥かに超える知識を手にした。その結果、セブンは環境破壊や戦争・差別が絶えない人類の未来に疑問を抱いた。セブンにとって、AIの言うことに疑問も持たずただその知能を享受する人類はゆりかごに揺られる赤子のように思えたのだろう。

セブンは人類の3割を間引きすることが最も良い未来をもたらすと言う一方で、人類に本当にそれでいいのか?という選択をさせるシナリオを描いた。(たぶん。作中の事件はセブンが全て仕組んだものと自分は解釈した)選択を委ねたのは、インプラントを埋め込んだ地球外出身の登矢と心葉。

時が止まった世界の最後に心葉が登矢に手を離すことを促していたが、あの言葉はセブンとフレーム融合した心葉の言葉であり即ちセブンの言葉だったと思う。手を離せばセブンが予見した人類の破滅の未来へ、手を離さなければ別の可能性へ。最終的に手を離さなかった登矢の行動はセブン=AIに人の可能性を理解させたのだ。

心葉はなぜ助かったのか

心葉のインプラントにはセブンの暗号がかかっていたが、結果的に心葉は助かった。なぜか?この問いに対する答えは、セブンの疑問に登矢と心葉が答えたからではないだろうか。

セブンの疑問とはセカンドセブンが言っていた「人間同士のフレーム融合は可能か?」の問い。AIであるブライトとダークのフレーム融合は互いの知識の共有、攻殻機動隊の文脈で言う並列化のような概念の様子だった。

それでは人間同士のフレーム融合とは、つまるところ人は分かり合えるのか?という問いかけだったのではないだろうか。

登矢と心葉はガンダムのアムロとララァよろしく精神世界で繋がり、セブンに答えを、人類の可能性を示したのだ。まさに令和版ニュータイプのお話だったのである。

作中に散りばめられた現代人への警笛

ところで本作に登場する大人たちと宇宙ステーションあんしんの描写は印象に残った。

例えば、あんしんの管制室では大人たちがDeegleのAIにおんぶに抱っこ状態の様子が見て取れる。一応マニュアル操作でシールド展開したりしていたが宇宙で生きてる割に結構危なっかしさを感じさせる。まさに人が理解できない知能を柔らかく煮込んで離乳食のようにして与えられている様子がこれだろう。

次にナサ・ヒューストン。

彼女は実はテロ集団の一員だったが、これはAIが全知全能のようになることで神格化し、AIが描く未来(=この作品でいうところのセブンポエム)こそが正しい!AI is GOD!になっちゃった人たち。そういう人たちが現れる未来を感じさせた。

AIが管理する「あんしん」がたぶんセブンが仕組んだんだと思われるAI自身のテロで大ピンチに陥るあたり、何も考えずにAIになんでもお任せするようになった先の人類の未来を強烈に皮肉っている。

てめえの頭で考えろ、話はそれからだ

つまるところ地球外少年少女とはAIの台頭により人々が自分の頭で考えなくなってしまうのではないか、そういう未来への問題提起であったと私は思う。

最後に大洋が言っていたようにゆりかごが必要な人も居て、そういう人を導く役割も必要になってくるだろう。今だってインターネットもわからない人も居るわけなので、システムとシステムわからん人のつなぎ役は今後も必要である。

一方でゆりかごから出ていく人たちは、AIが人の理解を超えていることを理解した上で自らの思考のもとでその知能と共生していく。そうして人の新たな可能性が切り開かれるのだ。

最後のシーン、AIの象徴であるセブンが地球外(=人の新しい可能性)から「ゆりかごを出ておいで」とか「一緒に地球外へ行こう」的な共生のメッセージを呼びかけていたんだと、私は解釈した。

迫り来る2045年に向けて

身近なところではネットサーフィンしてるだけでYouTubeやGoogleのレコメンドなど、自分が意識するにせよしないにせよシステムからわかりやすい離乳食を与えられてることがあるという事実がある。

こういうのをわかった上で、自分の頭で考えてテクノロジーを利用・選択・判断をするというところか。

ところで私はこの作品を見るためにNetflixを契約し自らの意思を持って視聴した。そのように信じているが実は何かのAIにこんな文章をしたためるよう仕向けられていたりしないだろうか?

などと考えてみることが磯監督の狙いだったらいいなあ。

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