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「普通」になれなかった私。

ただただ「普通」に憧れて、 ただただ「普通」に生きたかった。 アルコール、ドラッグ、売春 いろんな事に手を染めた。 何度も何度も死のうとした。 それでも「今日」は始まって また「明日」がやってくる。

    • 7.変わらぬ日常

      初めての自殺未遂は失敗に終わった。 そしてまた変わらぬ日常が始まった。 けれど学校でのいじめも家での暴力も、もう全てがどうでも良くなった。 「辛い」「悲しい」「苦しい」そんな感情ももうなくなった。 成績だけはキープしたまま、ただただ毎日抜け殻のように過ごし、私の中学生活は終わった。

      • 6.初めての自殺未遂

        中学二年の真冬の真夜中に私は台所に立っていた。 右手に包丁を持ち、そっとそれを左の頸動脈に添えた。 もう全てが限界だった。 永遠に終わりが見えないいじめ、母からの暴力、暴言、プレッシャー。 家にも学校にも逃げ場なんてなかった。 今すぐ楽になりたかった。 けれどそんな心とは裏腹に、包丁を持った手の震えは止まらず、心臓はうるさいくらいにドクドクと鳴っていた。 結局、最後の最後まで切ることはできなかった。 静かに包丁を置き、その場にしゃがみこみ、声を押し殺して泣いた

        • 5.「条件付き」の愛

          地獄のような一日が終わり、家に帰宅すれば今度は母が待っていた。 父との離婚後、母の精神状態は今まで以上に不安定になっていた。 暴力、暴言は相変わらず続いていて、ヒステリーを起こし発狂することも多々あった。 しかし私は中学生になってから、母がどのような人間なのかようやく少しずつ理解してきた。 中学に入ると定期テストがあるが、私は常に成績は上位にいた。 なぜなら初めての定期テストで数学で40点代をとったときに、母にかつてないほど殴られたからである。 テスト前は12時間以上

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        「普通」になれなかった私。

          4.いじめ

          中学一年の終わり頃だろうか。 小学校の頃からいじめられてはいたが、中学に入ってからいじめはエスカレートしていった。 最初は女子からの無視から始まり、そのうちに男子も面白がりいじめに加担するようになった。 授業中に悪口が書かれた紙を回されたり、持ち物を破かれたり、制服に虫を入れられたり、ひどい時には頭からガラスが降ってきた。 それでも学校は休まず、担任や家族にも助けは求めなかった。 いや、正確には助けを求められなかった。 ただただいじめられている自分が惨めで情けなく

          4.いじめ

          3. 離婚、倒産

          中学に上がってすぐの頃、ついに両親が離婚した。 もともと夫婦仲は悪く、遅かれ早かれこうなっていただろうと思うが、直接的な原因は経営していた会社の倒産である。 所詮バブルで成り上がっただけの会社だったため、不思議なことではない。 父は2億円もの借金を背負って自己破産した。 そして両親が離婚した日は母の涙を初めて見た日でもあった。 学校から帰宅後、母が祖母に泣きながら電話をかけていた姿を今でもはっきりと覚えている。 精神疾患を抱えながらこれから私と弟を女手一つで育てる

          3. 離婚、倒産

          2.小学生時代

          私が小学校に上がる頃に父方の祖父母と離れ、父、母、私、弟の四人での生活が始まった。 ちょうどその頃だろうか。 私の家庭が他の家庭と違うと気付いたのは。 母の病気は一向に良くならず、むしろ日増しに暴力、暴言は増え、度々ヒステリーを起こし奇声を発するようになった。 当時はごくごく普通の住宅街の一戸建てに住んでいたため、母の奇声は近所中に響いた。 ある日は鍵をかけずに玄関先で殴られていたところを、向かいに住んでいたおじさんに止めてもらい、助けられた事もあった。 当時の私は

          2.小学生時代

          1.出生

          1993年に私は新潟県の雪深い町に第一子として生まれた。 当時の私の家はそれなりに大きな会社を経営していて、所謂「お金持ち」の類に入るような家柄だった。 西洋風の大きな家に、駐車場には高級外車が並んでいて、広い庭にはたくさんの薔薇が咲いていたことを今でも鮮明に覚えている。 そんな家に父方の祖父母と父、母、私、弟の六人で暮らしていた。 傍から見れば一見普通の恵まれた家庭に見えたかもしれない。 だが今思えばその当時から家庭内は上手く機能していなかった。 ほとんど家にい

          1.出生