いじめと男子に触られると蕁麻疹が出るのという言い訳

自分の人生の中で一番辛かったのが小学生時代だ。

小学生なんて見た目とか足が速いから遅いからとか鼻くそほじったからみたいなんでいじめ、いじめられるもんだが、

子供の時から体格が大きかった私は、親の都合により転校した新しい小学校で自分の体型でいじめられた。

あのころの自分の写真を見るともうブクブクして顔は真ん丸だし、集合写真なんかを見てみればひとり一回り大きかった。

そりゃ格好の標的なるわなぁなんて思う。

いじめられたというよりも、からかわれたというほうがしっくりくるだろうか。

デブということでからかわれたわけで、友達がいなかったわけではなかった。むしろ小学校のカーストの中ではそこそこの地位を築いていた。

私も私でからかわれてる=かまってくるれる、つまり嫌われていない

なんて思って「もう~やめてよ~笑」みたいな感じで面白おかしく笑って過ごしていた。


けれど、そんな言動とは裏腹に心は病んでいくばかりだった。


筆箱をサッカーボール代わりにされ、ペンのインクが爆発して親に買ってもらった新しい筆箱が真っ赤になったり、

デブの歌といって目の前で歌われたり、そんなことが続き笑って過ごすたびに、私はストレスで家に帰ってから過食に走るようになった。

もちろんさらに太るわけで、またからかわれ、さらにまた食べのローテーションができていしまい、食べることを止めることができなかった。

親にいじめられてることなんて言えなくて、からかわれるたびに自分は世界で必要とされていない存在で、

マザーテレサの「この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。だれからも自分は必要とされていない、と感じることです」を思い出しは毎日家に帰り泣いては家にある薬を大量に飲んだものだ。

小学校卒業後は、地元の中学に進まず、受験をして違う中高一貫校に進んだ。

つくづくあの時受験してい良かったと思う。この中学校を選んで心から良かったと思っているし、その時の友達は今でもかけがえのない友人たちである。


ただ、この時のからかれたことがトラウマになり私は美醜に関して厳しくなり、異常に周りを気にするようになった。

ただただ綺麗とか、可愛いとか言われたくて、誰かに受け入れてもらいたくて仕方がなかった。

例えば自分が性的対象になることが当時の自分にとっては自分を受け入れてもらえるということで、まぁやんちゃしたものだ。(決してやりまくったとかそういうのではない)

あと、男性と喋るということにとても神経を使うようになって、デブと思われたらどうしよう、特別だと思われたいという気持ちが先走って、男子に触るとじんましんがでるのなどとほざいていた。

まぁ今思えばあほみたいな理屈だけどそれだけ当時の私は真剣であったw



今はそこまで縛られることは無くなった。

ただ、ときたま自分がいじめられてた過去を思い出す。

いじめたやつらを憎く思う。

いじめられた記憶は一生消えない。いじめるのは勝手だが、いじめる人間はいじめた人間に一生傷を与えるということを覚えといたほうがいい。


許すとか許さないとかそういうわけじゃなく、あの時のことを謝ってほしい訳ではない。

ただ、ただ、地獄に落ちてほしい

でも、そんな地獄に落ちてほしい奴らだけど、感謝していることもある。

いじめられたおかげで私は新しい環境に進むことができたし、とても大切な思い出達を作ることができ、今の人生がある。

ありがとうと共に地獄に落ちてほしい。

相手はいじめたことなんてもう覚えてないだろう。私も昔のことはあまり考えないようにしている。自分だけ小学校時代に縛り付けられるのはあまりにも自分が可哀想すぎる。


私は私の人生だ。









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