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結露

もう初夏の陽気だというのに、頭の先からつま先まで氷の如く冷えている。先刻、彼女の体温に触れてからというもの、異様な程に全身に冷えが巡っていくのがわかる。

彼女の皮膚は確かに熱を持っていた、あの柔い肌は今まで触れた誰の体温よりも、乳飲み子だった頃に抱かれた母の腕の中よりも遥かに高い温度と湿度を持っていた。それなのに、その白い首筋に触れた指先から僕の温度は徐々に下がっていった。
何故だろう、生命の温度は束の間の綻びを埋めるのに有効であったはずなのに、彼女のそれは逆効果でしかなかった。

どうしようもない不調を抑えるために、藁をも掴む思いで飲んだ薬の、副作用に殺されるような気分だ。

しかし、心臓は、心臓だけは異常なほどに熱を帯び出している。他の臓器と骨と筋肉と脂肪とシナプス、心臓以外の全細胞が死んだ様に失った温度が、肋骨の真ん中の辺りに溜まり始めている様な気がする。

もう一度あの温度を手の中に納めたら、肋骨内の熱と凍てつく細胞達がどう変容するのか確かめたい衝動に駆られたものの、彼女はもう細い夜道の僕とあの子の分かれ道で、青くなった信号機の向こうへ行ってしまった後だった。

少しずつ遠くなっていく彼女の背を見ながら、僕はまだ、仄暗い街灯と点滅する青いLEDの下から動けないでいた。

強張った身体で立ち尽くしながら、彼女の顔を思い浮かべようとするも、目鼻立ちどころか輪郭すら曖昧で思い出すことは出来なかった。
横断歩道の白線に薄っすら映る青色の点滅を見ながら、僕は彼女の顔を一瞬たりとも直視することが出来なかったことをぼんやりと思い出す。

そうして、ゆっくりと体内の温度差が、皮膚の内側で滲むような水分を生み出していくのだけがわかった。

#小説 #短編小説




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