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あるきながらはなしをきくとき、ぼくが気をつけている右側で左側にいえること

 僕は比較的くちがかるいと思われてるかもしれないが、美徳としてかくしごとを扱っているつもりでいる。秘める気持ちが発酵して「おじさんくっさ〜!きっしょ〜!」ってよくなるのだが、どうせならそうしてチーズにして焼いたら美味しいかなって。だいたい発酵してることすら、持ち合わせてることすら忘れていかないと、生活が成り立たなくなる。秘密が花になるなんて誰かが言ってたかもしれないけど秘密を幾つも持ち合わせすぎて、それは暴かれれば誰かが困るものから僕が残念なことになることだってある。前者は取り返しがつかないかもしれないし、後者は立ち行かないことがもっと立ち行かなくなるし、第一もう諦めがついていたくらいだから、もっかいチャンスありまっせ〜!なんてされたらもうどうしようもない。しっかり幻想の中に沈んでいるべきなのである。
 さて今朝、そう!ニチアサに映画を見るのが好きなんだけど、今朝は日活ロマンポルノ神代辰巳監督作品「恋人たちは濡れた」を見た。鬱屈した青年が田舎の海辺の街に転がり込んできてピンク映画館の手伝いをやりながら知り合う人と喧嘩したりヤったりする映画なんだけど、どうやら主人公の故郷らしく、親友と称する男や主人公のことを知っているという女、そしてとうとう母親と思しき人物まで現れるが頑なに主人公は認めない。青年期のどうしようもない自意識を描いているのかしらんと思ったが、明確にその原因を語られることはなく話は終わる。話は終わると言ってもまともなストーリーラインがないのだが自称親友くんとその彼女ちゃんと馬跳びをしたり、ポルノ映画の宣伝の旗をつけた自転車に乗りギターとハーモニカを担いで街に出たりなにかとシュールな絵があって飽きることはない。ピンク映画館のオーナーは浮気をしていて袖に通されている奥さんと主人公はできてしまう。おまけにこの関係性はオーナーは把握しており、ドシドシ姦通していいよなどという。不倫に秘密が含まれていないというのはいかがなものかと首を傾げるものだが、それは倫理の問題ではなく、嗜好の問題である。彼氏持ちの女の子と通話をしたり、性行為をするたびにこの秘密はいつまでもその人との間に守られないといけない制約が生まれる。個人的な話を挿し込むと僕はしばしばそういう目に遭ってしまうから、こうした公認の浮気というものがいかに味気ないのだろうかと一日中考えてしまった。
 一方で自身の秘密を持ち得た主人公に気持ちを寄せている女の子がもう1人いてそれが自称親友くんの彼女ちゃんで初登場が青姦中というなんともロマンポルノな子なのだがこの子と主人公の性的な絡みは最後までない。匂わせや、その寸前のようなこともあるが、最後の最後までない。お互いがそうしたものを感じ取ってはいるが、結局のところ行われないまま途絶して映画は終わる。彼女ちゃんが言い寄らなかったのは親友くんのことを考えてなのか、親友くんと主人公の関係を考えてなのか、そうした範囲でこの子の秘密が最後にチラ見せされるけど、ぼんやりとしている。僕はこういうキャラが本当に好きだ。余白を作っておいてくれている。そこに色気が出るものだ。秘密が花になる。

 今回の雑記のタイトルが「あるきながらはなしをきくとき、ぼくが気をつけている右側で左側にいえること」なのは大体、中身を読んでもらったあなたにはよくわかってくれたと思う。そう簡単に秘密を打ち明けるものではないけれど、わかる人にはわかってほしいのかな、案外際どいくらいにわかりやすく書いてしまった気がするんだけど。どうかそうして墓まで持っていくお土産をいくつか集めておきたい。

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