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経過観察

コロナ禍の自分に比べると、明らかにマシなムードになった。鬱はほぼ倒した。でも不安はいまだに倒せてない。

会話力自体は昔よりスムーズになったが、会話のキャッチボールに関しては依然と気になる点が多い。ASDもかなり目立つ。とはいえ、鬱から抜け出しやっと不安と鉢合わせできたことから、次の章に入ったことを身をもって感じた。

今の私は不安の序幕に踏み入れることになる。不安は鬱と違う。不安を倒すには今までたたかってきた鬱とはまた違うアプローチを取らなければならない。私の社交不安障害はASDならではの完璧主義とスパゲティ化している。自分の行動と発言を(別に重要ではないものも含めて)何度も読み返し、あすに恐怖を覚え、予行練習を繰り返す。いざその当日になると練習していた日課は呆気なく終わり、疲れだけが残る。これの繰り返しが生まれた時点から今まで続いている。

統計的に自分がジシしないでずっと世の中にいられる確率を知りたい。寛解と寛解後の未来に価値はあるのか知りたい。普通の自分ってそもそも存在するのか知りたい。希死念慮が花のように舞い散れば破滅願望がやってくる。破滅願望が蜂のように過ぎ去れば希死念慮が芽生えてくる。部屋はゴミ屋敷になっていなくても、脳内はゴミ屋敷になりがちである。

…抗不安薬は頼もしい。記憶の消しゴム、焼却炉になってくれる。暫くはこんなんでもいいと思えるくらい。効果は短いけど。

しばらくはこの状態が続きそう。

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