トナリアウ

xxЯunxxの事の番外編です。

追いついてないですのですが、
今日という日の事は書いておきたくて。

昨年blogにあげていた内容です。
少し編集してます。

タイトルは大好きなバンドの大好きな曲から。

永遠に降り注ぐ悲しみの待つほうで
今でも あなたを感じたい

この歌詞本当にすごい。
この日の事をつらつらと書いてますが、
どこかこの歌詞のように思う部分が
今でも私の中にあるから
初めて聴いた時、涙が止まらなかった。

そんな想いもあってタイトルに。

東日本大震災から9年。


私はこの震災で、大事な方を亡くしました。


その日は少し肌寒くて、それでもいい天気だった事を覚えています。


当時の私は、ちょうど疾患を患い

大好きだった接客業を辞め、

スノーボードも辞め、

何の為にいきてるんだろう?と思っていたところでした。


当時のキミは、仕事の合間をぬって

とゆうか時間を無理やり作ってくれる人で。

キミが興味のない、私の趣味の時間の後

決まって迎えにきてくれて

ご飯によく連れてってくれました。


そして、9年前の今日。

数時間前、今度は◎◎いこうや‼️

ってかそのついでにもうこっちに住民票うつしたらいいから。(私は京都。彼は東京。)


大好きな接客業を辞めてから、

疾患の症状もよくなくて、

家でも居場所もなくて、

心身ともにボロボロになってた私に

何度も何度も

側にいてるだけでいいよ😊


と言われては断り続けていました。

迷惑なだけじゃないのかな

こう思えて仕方なかった。

それでも何度も何度も向き合って

伝え続けてくれて

キミの所に飛び込もうと決めたのが

震災が起こる1週間前でした。


私が壊れた瞬間だった。


TVで幾度となく流れてくる映像。

連絡のつかないキミ。


無事でいてくれるはずだと信じ続け、

周りにも大丈夫‼️と励まされ続けた。


あのお知らせがくるまでは。



どんなカタチであっても、再会がしたかった。


本当に損傷が激しかった。

暗くて冷たくて寒いあの場所で。

誰が誰だか判別しきれない場所で。


同じ日本だと思えなかった。


津波の怖さも、避難しようとしていた事も

みた事もない姿になっていても

私には離れる事ができませんでした。




キミだと判別できる唯一の物があった。

間違いなかった。

探しだして下さった方々に

どれほど感謝しただろう。


初めて実感した恐怖と寂しさと愛おしい気持ち

でした。

xxЯunxxの事で

少し家族とのあれこれを書きましたが。

この話も家族にできませんでした。


少しの揺れで、しばらくはあの映像と暗くて寒くて冷たい空間を思い出しては震えや吐き気が止まらなくて。

所謂PTSDになってました。
今も治ったわけではなく、普段は平気ではありますが
やはり少しでも揺れが起こると過敏に身体が反応しています。


「またご飯たべへんのかよ」とか

「あのこは◎◎やのにー」とか。

常にそんな事を言われ続けて、

平静を装うなんてできなくて、

気づいたら心療内科や神社にいた記憶が

散らばって残ってる程度。


友達の前では平気な面下げてたんだと思う。


お薬手帳なるものをみると、

何度もオーバードラッグ

何度もアナフィラキシーを起こす食べ物を大量摂取していた記録があるくらいです。


君の膵臓を食べたいってお話の

「仲良し」な関係だったキミへ。


キミがいない日々を過ごす事が

とっても苦しくて辛くて

そんな事ばかりしていたね。


ごめんね。


今はね、服薬しなくなって数年経ちます。


たまにキミの声を探してしまうのはなぜかな?


今も鮮明に残ってるのは、

いつも私を包んでくれてた貴方が

スッポリ私の腕の中におさまっていた感覚です。


声の記憶って儚い。

表情はこんなにもこんなにも覚えてるのに。

今はアプリで動画も撮れるし、残せる。
本当に大切な人の声は残しておくのよいと思います。


やりたい事やろう。

○○なら大丈夫。


その言葉に何度も何度も励まされた。

もう少ししたら、今年も会いに行きます。


天災は避けれないけれど。

綺麗事ではなくて、

本当に誰にもあんな思いはしてほしくないなと

思っています。


辛くて寂しい時、

誰でもいいから聴いてほしい場所を作るきっかけは

その時の事もあり、心の保健室って活動を始めました。
今年で2年。




熊本の震災も、岡山、広島、愛媛の豪雨も北海道の震災も。

単なる話し相手にもなれないかもしれない。

だけど、辛い思いは聴く事ができるかもしれない。

と。

続けています。

いつも色んな報告をして下さる

あなたやあなたに出逢えて、よかったと私は思っています。

いつもありがとうございます。

無意識の中で、選択肢がなくなる感覚
忘れちゃいけないなと。
誰かが私を支えてくれたように、支えてくれてるように。
今ここに存在してる意味は私の中にある。
だけどそこに気がつかない程、何かに襲われて覆われてる時

誰かにSOSを出す

事すら選択肢としてその時は持ち合わせてない。

よく話聴いてあげればよかったとかきくけど
そもそも選択肢としてない。


だからこそ
本当に大事な人のほんの小さな変化に
気づいてあげれる余白は常に持って、生きていきたい。





なんか気になるって思ったら宜しくお願いします (。-人-。) 疾患の痛みと闘いながら書いてる事もあり、 サポート頂いた際は自分へのご褒美にさせて頂きます✨😌✨