マガジンのカバー画像

まいにちのきろく

46
わたしの日記やつぶやきなどなど。みんながんばって生きてるんだよ〜〜〜!!!
運営しているクリエイター

#呟き

ひとつのおわりを迎えたことがきっかけで、残してたものをすべて消したくなった。 逃げたかったんだろうな。さみしかったんだろうな。そんな過去の想いに気づいた。 あのときの気持ちは本音だったからこそ、消すことに迷いが生まれた。でも、あのときがあったから大切にすべきことにも気づけた。

忙しくなると休みたくなって、いざ休むと罪悪感を感じて、長い時間眠ることがすこしこわくなった。 何度、もうひとりわたしがいたら体調を気にせず、仕事に向き合えたのにって考えたのかわからない。 いずれ本当に倒れるかもしれないとわかっていても、がんばることはやめれない。やめたくない。

理想と現実があまりにもかけ離れてしまって、すきな人になかなか追いつけなくて、そうした差に挫けそうになっても、がんばり続けることだけは否定したくないなあ。 届けるものすべて誰かのためにって想いがある。でもやっぱりすきな人に見てもらいたい、がっかりされたくないって想いが強くある。

うれしいことが続くと当然「恋愛ってたのしい!」って感じるけれど、不安要素がひとつでも生まれると恐怖と不安でぐるぐるしては「誰もすきになりたくない……」なんておもうけれど、生まれた気持ちは自分でさえも止めることなんてできなくて、結局向き合うしか方法はなくて、逃げることはやめてみた。

だいすきだと想える人がいると落ち込むことはたくさんあるかもしれないけれど、それ以上に些細なことでうれしくなって、連絡ひとつでスキップしたくなって、どんなことにも全力で褒めてあげたくなって、自然と満たされていくものだよね。

ぜんぜんだめだなあっておもってたけれど、以前よりも原稿を仕上げるペースが上がってることに気づいた。 もしかしなくてもわたしだけが、わたしを認めてあげれてなかったのかなっておもった。 こんなの誰でもできるって自分の評価が低すぎるけれど、ちゃんとすごいねって褒めてあげたい。

うまく進んでるとおもったら、物事の停滞気味を感じてすこし立ち止まりたくなったりして。 すこしだけ下向いていつものごとく満月のせいにしたり、気圧のせいにしてみる。 ぜんぶできなかったよりも、すこしできた自分にえらいえらいはなまるプレゼント。

もっとうまく自分の気持ちと向き合えたらいいなあ。もっとまわりの気持ちに寄り添えたらいいなあ。 そんなことをおもっていたら裏と表の自分を作り出して、泣き言なんて言えなくなった。誰かに頼る方法がわからなくなった。 とりあえず、そんな自分だっていいよねって認めてあげることに決めた。

良い評価をもらえても周囲と比べて「まだまだなのになあ……」と自分で評価下げてしまう。 もっと自分のこと認めてあげたいし、いっぱいいっぱい褒めてあげたいのに。 周りを見て羨ましいっておもうけれど、きっとないものねだり。人は欲深い。本当にそれをやりたいのか聞かれるとすこし悩む。

視覚的に確認できないものに不安にさせられる。気になってしまうと心の奥底に踏み込んではいけない領域として居着く。 なるべく気づかないように、見ないようにしかできない。でも不安に支配されて目の前にあることを疎かにはしたくない。 だから目の前のしあわせをめいいっぱい感じたい。

しあわせすぎてこわいと感じた。 しあわせっておもえてるなら、そのまま幸運を感じていればいいのに。でも、ふとしたときにこわいと感じる。 きっとそれはいまの状態が壊れてしまう恐れも、しあわせに甘えすぎて自分がわるいように変わってしまうことを恐れているんだろうなっとおもった。

突然、溢れそうになった想いはどのように抱えていればいいのだろう。 誰かに邪魔をされないように、わたしだけの想いが汚れてしまわないように、誰の目にも映らないように、魔法を使って二重の鍵をかけた。 そんな魔法の鍵さえ破壊しては、溢れようとして止まってはくれない。存在を示すように。

人のしあわせは、誰かの不幸の上に成り立ってるって昔どこかの偉い人が言ってたっけ。 なるほど、なんておもいながら「誰かの不幸の上に成り立ってるしあわせなんていらない」なんておもったりした。 何年経っても変わらず、自分よりも誰かの幸福を願ってたりもする。