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大切にしてる物

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ちょっとしたことや日々感じたことなど。体験したことや、思ったことをまとめました。
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#呟き

これまで築き上げてきたものが止まったり失うと不足した状態になっては、空白を埋めようと焦るもの。 焦ったり足掻くほど状況が悪化しては、本来の夢や目標が見えなくなってしまう。 けれど、視点を変えると大切にすべきものは異なるけれど、どんなときも大切なものはしっかりと存在していた。

人はできたことよりもできなかったことを意識したり、どうしても不足してる部分だけを見てしまう生き物。特に対象者が自分だと誰かと比べては評価しがち。 否定せずに大切な人に優しさを届けるかのように「そんなことないよ、大丈夫だよ」と、自分にも愛情を向けられるようになりたいね。

誰かの思考や仕事・生き方など、自分の状況を比べては「あの段階にたどり着けていない」と、言葉にできない想いを抱く日々。 いつからか「やりたい」「たのしむ」そんな気持ちよりも、自分のプライドを守るために始めたことが多くなった気がした。 そんな自分の気持ちに気づきたくなかったな。

大切にしたい思い出ほど記憶が薄れて、新しい記憶に上書きされていく。がんばって思い出そうとしても伝えてくれた言葉の前後は思い出せないけれど、そのとき抱いた気持ちは忘れていない。 思い出すたびに涙があふれそうになるけれど、このあふれる想いを伝えられる日までは覚えてたいとおもうよ。

起こってもないことを深く捉えて病んでしまうときほど、自分のことしか考えられていない証拠でわがままの気づき。 だからこそ相手に対して「なにも考えてあげられてない」って気づいたときには、申し訳なさとこれまでの感謝の気持ちがあふれては、自分が抱えるものなんてどうでもよくなった。

なんだかちょっぴり元気が出ないなんて日でも、届くメッセージや通知の名前を目にするだけで、あたたかな気持ちになれるもの。 もうすこし、すこしだけ、ほんのすこしだけがんばってみようかな。なんてね。 「ただいま」って言うと「おかえり」って返ってくるこの関係が心から嬉しくて愛おしい。

立てなくなったときも、逃げたくなったときも、消えたくなったときも、ずっとずっとひとりだった。けれど……優しくてあたたかな想いに触れて、心から寄り添ってくれる姿に嬉しくなって、今日もまた悲しくないのに涙があふれて、笑顔で頭を優しく撫でてくれる姿は夢の中にいても想像ができてしまうよ。

あたたかくて優しくて愛おしい想いに触れると、はじめての温もりに涙があふれそうになって、言葉では言い表せない深い想いに伝えきれないもどかしさを感じた。 悲しいよりもあたたかくて愛おしい想いに涙を流して、愛されてる実感をようやく感じられるようになって、今日も心が満たされていくんだ。

魔法使いじゃないから相手の気持ちなんてすべてわからないし、信じるよりも疑ってしまうときの方が多いのかもしれない。 でも、同じタイミングで同じ想いを抱いてることを知ると、なんだかあたたかくて嬉しくて、涙があふれるほど愛おしくなってしまうね。

期待するから嫌なことには大きなショックを受けて、苦しくなってかなしくなって、すべてこわくなって、なにも言葉にできなくなる。 それなら自分だけ信じていよう。誰かに期待を寄せることはやめよう。 そう思うのにすこしだけ、そんな生き方はさみしくて、かなしいっておもった。

人の気持ちなんて、想いなんて、感情なんてすぐ変わってしまうもの。だからこそ、その瞬間瞬間に抱くものを大切にしなきゃいけなくて、伝えられるときに伝えないといけない。 けれど、ネガティブに恐怖に支配されているときほど伝える勇気はなくて、悩んで恐れて気づいたときには失ってしまう。

迷ってるときほど決断すべきときではないし、どちらも選ぶべきではないかもしれないね。 完璧主義で曖昧を嫌うからこそ、ひとつのことにだらだらと時間をかけたくないし、白黒はっきりしたくなる。 でも、自分の気持ちや未来が見えなくなってしまうと、決断したくてもできなくて選べなくなる。

どれほど悲しいことがあっても絶望を感じたとしても、愛おしい大切な人を守れるならそれだけでしあわせ。 愛おしい人が傷つくような言葉はわたしに投げかけてほしいし、心ない言葉だってすべて受けとめたい。 愛おしい人が笑顔でいてくれるなら、それだけであふれる想いに涙がとまらなくなる。

物事を真面目に捉えてしまっていると、周りからの教えだったり考えをすべて取り入れようとしてしまう。自分の考えやルールを抑え込んでしまっても。 自分の中で上手に取捨選択できないのは、きっと自信がないから。必ずしも正しいわけではなくても、自信を持って決断できないからなんだろうなあ。