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『The Sauna』 - 人生観を変えるサウナ

夏のはじめ、僕の心は荒んでいた。担当しているプロジェクトは突如クローズを告げられ、後ろ向きに銃を撃ちながら走るような撤退戦と、自身の行く先の見えない状況にほとほと嫌気がさしていた。

そんな折、前々から計画していた1泊旅行に家族と出かけることになっていた。行く先は信州・信濃町。この街は、子供のころ母に連れられて野尻湖や黒姫の山荘よく行ったり、妻は仕事の縁で繋がったコミュニティがあったりで、不思議と縁を感じる場所だった。

僕はここ数年前からサウナにハマり、ストレスフルな状況に対して交互浴で自律神経をチューニングしながらギリギリ正気を保って日々を送っている。雑誌「Coyote」で見た、フィンランドの自然の中にあるサウナにいつか行こうという憧れを持ちながら。そんな僕は旅先や出張先でよいサウナがないかな?と探すのが習慣になっている。

いつものように信濃町にもサウナがあるかな、と探しはじめてすぐに見つかったのがこの『The Sauna』である。ゲストハウス「LAMP」でイベントをやった妻から話を聞いていたような気もするし、クラウドファンディングのページを見たような気もする。そうか、あれは信濃町にあるサウナだったかとサイトを見ると、

そこには「Coyote」でみた憧れの、フィンランドの森の中にあるサウナと見紛うばかりのサウナがあった。荒んだ心を癒やすにはここしかないと思った僕は、見た瞬間に妻に相談もせず予約を完了していた。

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その日、東京は朝からどんよりとした空に小雨がぱらついていた。碓氷峠の霧を抜け、野尻湖の畔に着いたのはお昼前。現地についた頃、空は相変わらずの曇天だったが、雨は上がっていた。

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妻はあいにく体調があわずこの日サウナに入ることができなくなってしまったので、奇しくもサウナを1人で貸し切る形になってしまう。ゲストハウスLAMPで予約している旨を伝え、受付を済ませて裏庭に出る。

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…そこにはフィンランドを切り取って持ってきたかのような、イメージ通りのサウナ小屋があった。

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小屋の脇からサウナマスターの野田クラクションべべーさん(@nodaklaxonbebe)が挨拶をしてくれる。見れば1本ずつ手で薪を割り、ストーブにくべ、今まさにサウナを「作って」くれている。

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僕だけのために火を入れてもらう贅沢に感謝しながら、小屋を通り過ぎるとそこには湧き水が流れ落ちる一人ぶんの水桶。天然の水風呂だ。

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サウナ好き諸氏に語るべくもないと思うが、水風呂の良さはサウナ体験の良さに直結する。この水風呂を見てときめかないサウナーがいるだろうか。いよいよもってここがフィンランドなのではないかと思えてきた。

一度母屋に戻り、水着を着て身支度を整え、サウナ室に入る。木造りの室内には左右に2段ベッドの上段くらいの高さの台があり、天井は低い。照明は足元を照らす最小限のものだけで、ストーブの窓からは火が赤く揺らめくのが見える。室内の温度は熱すぎず、絶妙な温度になっている。

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ドアを閉め、傍らに置いてある木桶からヴィヒタの浸った水を汲み、ゆっくりとサウナストーンにかけていく。焼け石に水をかけ、蒸気の立ちのぼる心地よい音をききながら。ヴィヒタを1束取り出し、白樺の爽やかな香りを含んだ蒸気を室内に行き渡らせるように振り回す。これこそが本当のロウリュだ。

一人きりの室内。好きなだけロウリュをして、腰を掛ける。熱すぎない室温に蒸気が巡り体感温度が上がっていく。汗が全身からふき出し、カラダが熱にちゃんと反応していることを実感する。

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薄暗い室内、サウナハットを目深にかぶり目をとじる。耳に聞こえるのは鳥の声と森の木の葉ずれと薪のはぜる音。荒んだ心や雑念が解きほぐされ、汗となって体内から出ていくようだ。時計も見ず、何も考えず、ただ熱と香りを感じながら座る。

どれくらい経っただろうか。カラダに程よく熱が入ったと感じたところで一度外に出る。小屋の脇に置いてある水桶にざぶんと入る。チラーを使わなくても天然の湧き水はちゃんと冷たく、全身を引き締めてくれる。自然の恵みを全身で受ける。

気の済むまで冷浴をしてデッキチェアに横たわる。普段行くサウナで、調子がいいと来る状態にいきなり到達する。「ととのう」「キマる」「ディープリラックス」…いろいろな表現があるが、それだ。吹き抜けていく風が木の枝を揺らすのを眺めながら、それを存分に堪能する。意識が脳と切り離され、カラダと自然を隔てている境界が曖昧になっていく。

どれくらい微睡んでいたのか。意識が再接続されたところでふらふらとサウナ小屋へ向かう。水を一口含み、もう一度ロウリュからだ。自分のペースでまたゆっくりと蒸気を回せる喜びを噛み締めながら、白樺の香りで満たされた室内を作る。瞑想の深度が増していく。雑念や荒んだ気持ちは汗とともにどこかに消えていった。

いつものサウナよりも幾分じっくりと自分を蒸し、今度はと思いサウナ小屋を出てよろよろと50mほど歩く。その先にあるのは野尻湖だ。

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ざぶざぶと湖に入っていき、背の立つ深さまで来てゆっくりと大の字になり空を見上げる。水温は冷たすぎず心地よい。山と空と湖。自分が自然の一部に溶けていくようだ。こんな感覚はいままで味わったことがない。

気がつくと雨がぱらつき始めていた。雨もまた心地よいなとカラダに感じつつ、よたよたとサウナ小屋に戻る。再びロウリュで室内を暖め、ごろりと横になった。小屋の屋根を叩く雨の音を聞きながら思考はゆるやかに停止し、何も考えずにただ全身で蒸気を受ける。温まりきったカラダをまた冷泉で引き締める。なんという贅沢な時間なんだろう。

時計も温度計も気にせず、普段のローテーションを全く無視して感覚だけでサウナを楽しんだ。サウナに入るたびに心が穏やかになっていくのを感じる。みんながもっとサウナにいけば、世界はもう少し平和になるかもしれない。

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東京に帰る車の中、後部座席で眠る妻と娘をバックミラー越しに覗きながらふと考える。眉間にシワを寄せながら、右肩上がりの数字を追うような生活に疲れたら信濃町のサウナに逃げればいい。幸い、妻はサウナに逃げることを許してくれそうだ。焼け石に水をかけて、無駄にならないこともある。どのようなカウンセリングよりも、僕には自然の中にあるサウナのほうが効果がありそうだ。こんどは願わくば晴れた日に、星空の下で湖に浮かびに行こう。

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