忘れられない男

生きてきた中で、忘れられない人というのは誰しもが1人や2人いると思う
もし今はいなくても、今後死ぬまでの幾日かで現れるだろう
今回はわたしにとって忘れられない男の話を健忘録のようなものとして書いていこうと思う

わたしがその男に出会ったのは、まだうつ病になる前一般職で働いていたときだった
会社の窓口のような役割をしていたわたしは、取引先の担当が代わるとのことで上司から呼ばれ、会議室へと足を運んだ
「はじめまして!〇〇会社の新田(仮名)と申します!前任に代わり御社の担当となりましたのでご挨拶に伺いました!」
そう言って名刺を差し出した男の、ギラギラとした瞳にすっと通った鼻筋、大きな口をあけて笑う様は見ていて眩しいくらいに、わたしの脳裏に焼き付いた
直感で、「あぁ、わたしはこの男が好きだ」と思った
しかし当時のわたしには彼氏がいたし、ましてや取引先の担当者など到底お近付きになれるものでもなかった


新田さんはいつも電話をかけると元気に対応してくれた
初めこそ仕事の話で終わっていた電話も、いつしか冗談も交えて話せるまでになった
既に会社へ行くことが辛くなり始めていたが、新田さんとの電話だけは楽しみだった

わたしの身体が悲鳴をあげ、休職となったとき、どの取引先の人にも挨拶が出来ずにいた
もちろん新田さんにも連絡は出来ておらず、そもそも営業携帯の番号と会社番号しか知らないのでわたしはみなさんに申し訳ないと思いつつ、早く復帰できるようにと療養に専念した

数ヶ月がたち、職場へ復帰したわたしだったが、まだ電話対応は早いとのことで雑務などをこなしていた
復帰してしばらくたち、上司とも話し合って電話対応をすることになった
いろんな担当者のかたに電話をして、迷惑をかけたことを謝った
みなさん喜んでくれて、わたしもほっとした
そしてついに新田さんへ電話する機会が訪れた
慣れているはずの新田さんへの電話
プルルル…
と発信音が鳴り、わたしはどの取引先の担当への電話よりも緊張していた
「はい、〇〇会社、新田です」
新田さんの声が聞こえた
手が震えて上手く声がでない
「あ、お世話になっております。〇〇会社Nです」
そこまで言い切って身体が熱くなるのを感じた
どうしよう、要件を……
「え、え!?Nさん!?もう身体大丈夫なんですか!?え、いつから!?うわ、うわ〜良かった〜」
電話の向こうで新田さんがへたりこんでいる様子が浮かんだ
「ふふふ…すみません、ご迷惑をおかけして…」
そういうと新田さんは、もう〜ほんとですよ〜とこちらを茶化すように笑っていた
そこからしばらく体調の話やわたしがいなかったときの苦労(申し訳ない)などいろいろ話ていて、新田さんがそういえばと口にした
「Nさん休みに入られる前に飲みに行きましょうって言ってたヤツ、快気祝いってことで近々どうです?」
願ってもない提案にわたしは歓喜した
新田さんがこちらの方まで出向いてくれるとのことだったので、同僚に仕事先の人と行くのにいいお店がないかと聞いて回った

当日がやって来て、わたしは仕事を定時で終わらせ、一旦着替えて化粧を少しして待ち合わせの駅に向かった
ちょうどバレンタイン前ということもあり、チョコレートの甘い匂いがしていた
そうだ、新田さんにバレンタインを渡そう
でもわたしは1年前に新田さんが既婚者で子どもがいることを知ってしまっていた
知った時は心臓が抉られるかと思ったが、そこではっきりと好きなんだと確信した
そう、わたしは新田さんのことが好きで、尚且つ今日バレンタインを渡そうとしているのだ
しかも本命とは思われないような、ささやかな、チョコレートを

改札前で待っていると、ショートメールが送られてきた
「着きました。どこにいますか?」
わたしは改札口から流れ出てくる人の中から新田さんを探した
みな一様にスーツを着て俯きながらせかせかと通り過ぎる
あ!
わたしが見つける前に新田さんがわたしを見つけた
にこにこと笑いながらこちらへ歩いてくる新田さんは、わたしにはもう王子様にしか見えなかった
「お待たせしましたー!」
新田さんの声に
「うー!わたしが先に見つけたかったです!」
というと、えっ、と少し驚いた顔をした
しかしすぐにもどり「行きましょうか」と言ってくれた

今回わたしが準備したのは駅から少し歩いた所にある古民家系の居酒屋だった
料理が美味しいと聞いていたので、早速いくつか頼み、新田さんはビール、わたしは飲めないので炭酸かなにかを乾杯した

新田さんの話はとても面白かった
今の会社に入る前は別の業界で働いていたらしく、そこそこの地位にいたらしい
しかし激務に次ぐ激務で奥さんからストップがかかった、とかそんなことを言っていた
新田さんの前職はわたしもとても興味のある分野で、新田さんはいろんな話をしてくれた
わたしは新田さんが話しているのを見ているのが本当に楽しかったし幸せだった
新田さんの携帯が鳴り、どうやら前任者の方からだった
前任者の方はほとんど話したことがなく、わたしが窓口担当になってからすぐに新田さんへと担当が代わったのだった
「前任者がNさんと話したいからこっちに来たいって言ってるんですけど、どうしますか?」
そんなこと言っても全然話したことないし…正直ちょっと苦手な人だったので迷っていると
「は?え?あ、すいません、もうすぐそこまで来てるみたいで……」
腹を括った
前任者の方が到着し、一緒に全然知らない人も来た
全然知らない人はもう会社を辞めるのでほんとにそれきり会ってもない
前任者さんは新田さんの直属の上司で、色んなことを教えてもらったと嬉しそうに話していた
わたしが思っていたイメージとは違い、気さくで優しい方だった
わたしが化粧をしているのに気づいたのも前任者さんで、「Nさん、メイクされてます?」と聞かれ、ちょっと恥ずかしくなって、はい、と答えると
「え!あ!ほんまや!えー!このためにですか!?めっちゃ嬉しい〜!!なんか雰囲気違うなあとは思ってたんですけどね!?わぁ〜!」
と、新田さんのテンションがめちゃくちゃ上がった「でも俺が気づきたかった」みたいなことをボソッと言ってたような気がした

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