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かけるが好きという話-後編

(この記事は2019-04-22に別ブログで投稿した記事を軸に再編集して投稿しています)
前編はこちら↓
https://note.com/xxmiragexx/n/n07ce331e08ed

歌詞の解釈と言えども、文章力がないため全ての歌詞を解釈し、言語化していくことは難しい。ここでは一つのテーマを出して書いていきたい。

「かける」の歌詞──もといサビにはこの言葉が繰り返し出てくる。

生きろ

この歌詞を初めて聴いた時、私は一種の衝撃に襲われた。ポップスというジャンルではかなり重く安易に扱えない、言ってしまえば諸刃の剣のような──強い言葉だと思ったからだ。

『強い言葉』とそれが持つ力

このことについて、かける配信時の公式インタビューで語られている。

北川「この『生きろ』というフレーズは、最後まで迷った言葉で。」

「“生きていく” “生きていこう”というのはよくあるんだけど、ポップスの中で“生きろ”という強い言い方が、果たしていいのだろうかと。」

やはり北川氏でも『生きろ』という強く、使い方が難しいこの言葉を使うべきか迷っていたように見える。
しかし、このインタビューの後にはこのように続く。

北「でも、(略)暗闇から抜け出すためには、このくらいの力がいるんだよっていうメッセージは必要なんじゃないかなと思いました。」

そして、この発言を受けて岩沢氏もこう話している。

岩沢「(略)歌詞という意味では、“生きろ”って簡単にかけていい言葉ではないんですよ。北川も言ったとおり、ポップスの中では結構強い言葉で。」

「(略)言葉が強いから歌いづらい、という気持ちもなく。出てくるべくして出てきた言葉のメッセージだと受けとめていて、僕は驚きませんでしたね。」

『生きろ』という言葉の重さや強さを理解し、考え抜いた結果…それでもこの言葉を「伝える」ことを選んだ。
その思いには、「ゆず」の曲に共通してある「光と影」の表裏一体感が存在してるように見える。

光があるから影があり、影があるから光がある

「ゆず」の曲はサビ部分がテレビや何らかのキャンペーン等で使われることが多い。その部分だけ聴けば「二人の曲は底抜けにポジティブなことが書かれている」と解釈する人も少なくないかもしれない。
実際、当方も二人の歌詞をちゃんと読むまではゆずの曲にはポジティブなイメージしか無かった。

しかし、全体の歌詞を読み、フルで聴くとそのイメージが覆ることがこれまで数えきれない程あった。
今こうして取り上げている「かける」の歌詞も最後まで一つの芯を貫いたように「光と影」を表現している。

決して世界はキラキラした事ばかりじゃない、いきなり現れた分岐路に怖気付いてしまうことも、「いっそ降りてしまえ」ともう一人の自分が囁いてくるぐらいに心が弱くなった時も、叶えようとした願いが散り散りになって残骸となってしまう時もある、それでも───

「ゆず」の一般的に呼ばれる「応援ソング」の強みは、この「それでも」に辿り着く前の葛藤、そこからまた進むことへの苦しさや難しさが飾らず、ストレートに描かれていることだと私は考える。

「それでも」の先でいくつもの夢を叶えてきた二人。
『生きろ』という言葉はそんな二人が考え抜き、その言葉が持つ強い力を信じたうえで聴き手に伝えたかった言葉であることが、こちらにも伝わってきた。

私はそんなかけるという曲が好きだ。
何卒、かけるをよろしくお願いします。

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