碌なことにならないから

「アンタのせいで、アイツは死んだんだ!」
14時32分。
昼下がりのカフェには相応しくない不穏な怒声が響く。水を打ったように静まり返った店内に震えた声はひどく反響していて、ワナワナと震える男に店内の視線が集まる。立ったままの男の向こうには優雅にティーカップを持ち上げかけた男が座っていた。
「……俺の友達は、アンタを見て死んだ。」
周囲の目を気にすることも無く、男はそんな事を言っていた。唐突に罵声を浴びせかけられたというのにも関わらず、座っている彼は驚くことも無く静かにティーカップをソーサーに置いて、言った。
「……君、誰?」
ひんやりと冷たい声をしている。店内の体感温度は少し下がったような気がした。
「そうだな、ええと……座ったら?ここは公共施設で、俺のお気に入りの場所だし……」
この場面では軽薄にも聞こえてしまいそうな程に普通の声で、彼はそんな事を言う。怒声を浴びせた彼も拍子抜けしてしまったようでガタンと音を立てて椅子を引く。驚くなり、怖がるなり……もしくは反論するなり。そういった反応を想定していたのだろう。まさか着席を求められるとは思っていなかったに違いない。
「申し訳ありませんでした皆様、お詫びと言ってはなんですがお代は私が払わせていただきますのでどうかお許しを」
男が席に座った事を確認したのか、彼は立ち上がってそう言い優雅に頭を下げた。この島の人々は陽気で厄介事には慣れている。彼の言葉で先程の出来事は既に過去となって霧散し、人々は再び各々の世界に戻っていく。そりゃあ聞き耳を立てている人間だって幾人もいるだろうが、一先ずは平穏が戻ってきていた。

………
……

間違えた、と。そう思った。席に座ることを促されたとき、それよりもずっと前。一目見た瞬間に、間違いを悟った。アイツもきっとそう思ったんだろう。「きっとなにかの間違いだ。こんなモノが紛れ込んでいていいわけが無い」って。遠目から眺めている奴らには分からないだろう。目の前に座っているとよくわかる。ちりちりと燃えるように身体が熱い。俺はカバンの中のナイフの事を考えて、必死に平常心を保とうと思った。平常心、平常心、平常心……
アイツの遺書が頭を過ぎる。
「アレを見て、普通でいられるわけがなかった。なにもかもなくなって、なにもわからなくなった」
以下省略。まとまりのない内容が乱雑な字で書き連ねられていた。ガタガタと何かに怯えるように震えた字だった。
今なら、自殺の訳がわかる。だってこんな生き物を知ってしまったら。それはもう、死にたくもなるだろうと。
震えそうになる脚と、逃げ出そうとする体を無理やり押さえつけて椅子に座っていた。指先が冷える。足先から感覚が失われるような錯覚に陥る。頭が、キンと冷えた。

「それで、なんだっけ?」
「あぁそうだ、俺のせいで君の友人が死んだ話だったね」
「よくあるんだよね、そんな事を言われても困ってしまう」

よくあること、と一蹴されてふつふつと怒りが湧いてきた。
俺にとってはよくあることなんかじゃない。困ってしまう、なんてそんな風に人の死を片付けるな、頼むから。
「……俺にとっては、そんな簡単な話じゃない!遺書にはアンタの名前があった!この店で会ってたって!」
「あぁ、自殺したのは彼だったのか。覚えているよ、頭のいい人だ。先進的なアイデアもそれを実現させるだけの技術力もあっただろうね。そう……それで君は仇討ちにきたの?」

ふと学生時代に受けた生物の授業を思い出す。美しい生き物には毒がある。多分目の前の生き物もそういう類のものなのだろう。美しい生き物には、毒があるんだから。目の前の男は緩慢な動作でカップを持ち上げ、紅茶を啜っている。多分アイツもこうやって殺された。こうやって対話して、勝てないと悟って死んでいった。
「……アンタ、本当に人間か?……人が死んでるんだぞ、アンタのせいで!アンタの言葉で、その態度で!」
やっとの事で絞り出した声は自分でも分かるくらい震えていた。目の前の男は淡々とティータイムを楽しんでいる。じっと見つめてくる瞳はどこか生気が欠けていて、ほの暗く光っているように見えた。その視線から、その声から、ゆっくりと毒が染み込んでくるような気がする。遺書に書いてあったはずなのにどうしても名前が思い出せなくて、どうしてここにいるのかの理由すら曖昧になっていきそうだった。そういう存在で、そういう種類の生き物だった。
「最初の問に答えようか。俺はただの人間にすぎず、腹を割けば死ぬし、頭を撃ち抜いても死んでしまう……まぁ脆弱な部類に入るだろうね。君なら俺の首をへし折る事だって出来るんじゃないかな」
「そんなことを知りたいわけじゃ、」
「いいや、君は俺を殺したかった筈だ。君の友人を死に追いやった存在をどうにかして貶めようとしたかったし、どうにかして攻略してやろうと思っていた……最初に君は誰かと聞いたけれど、そこで君の心はもう折れているんじゃないかな。それでも突っかかってくるのは賞賛に値するけれど……」
断定、賞賛。面白いくらいに心の内を暴かれていく。
そうだ、俺はこの男をどうにかして殺すか、惨めさを味あわせてやりたかった。死の原因が自分であることを、認めさせて謝罪させたかった。それだけだ。……本当に?ほんとうにそうなら、こんな事をする必要はあったのか、もうなにもかもわからなくなりそうだ。気が付いたら袋小路の迷路に閉じ込められている。右手を壁について歩くという迷路の攻略法はまだ役に立つんだろうか。

それとももう、何もかも手遅れなんだろうか。
机の下で握りしめていた拳が痛い事に気が付く。壁掛け時計の規則正しい音がおかしなくらい頭の中に反響して鳴り止まない。昨日から何も食べていないせいか、吐き気がする。
「そんな、そんな事じゃない。俺は、アイツみたいに死んだりしない。アンタに殺されたりしない」
吐き気と反対に、口の中は乾いていく。ギリギリのところで目の前の男を睨んでやると、男は愉快そうに笑っていた。口元に手を当てて笑う、上品のマージンにキッチリと収まったそれ。必死の抵抗をなんでもないように受け取られ、流されていく。

「……俺の事を殺したいなら、こんな風に会話を試みるべきではなかったね。問答無用で不意打ちでもなんでもするべき」
駄々を捏ねる子供をあやすような優しい声だった。完璧に計算された角度の完璧に優しい微笑を浮かべ、男は言い放つ。

「君は随分と優しい人のようだ」

パキン、今度こそ完璧に自分の心が折れる音が聞こえた。
……それから、どうやってカフェを出たのか覚えていない。どうやって家に着いたのかもわからない。
気が付いたとき、俺は首にロープをかけ、足元の台を蹴り飛ばす瞬間だった。首に体重がかかる。
首が絞まる感覚
視界が白く染まる
グラグラと視界が激しく揺れる。
……そう、だ。たしか、数学のきょうかしょ、で見たことがあるような、なまえ、だったっけ……なまえ、は

適当にザッピングした後、結局ニュースを流していると重々しいキャスターの声が響いた。
『お昼のニュースをお伝えします___昨夜未明、___・____氏が遺体で発見されました。遺物から自殺とみられ、警察は今後___』
よくある話、だ。人は死ぬし、俺はその原因を多分知っている。俺の思い通りだったらきっと原因はそろそろ起きてくるだろう。何故か今も現役で動いている古めかしいラジオからは先程のニュースの詳細が流れ続けている。どうやら友人の自殺を受けて心を病んでしまった、と結論づけたいようだった。
カチャリとドアが開いた音。
「……おはようございます」
おはよう、と言う時間ではないがいつもの事だった。夜中はずっと起きている代わりに、こうして昼頃に起きてくるのが常だ。完全にズラした生活リズムがこうして合うの休日くらいなもので、ここのところ見かけるのは久しぶりと言ってもいい。
「おはようヤツカ」
「これ、どうせあなたのせいでしょ……ユークさん」
「んん?あぁ……うん、そうかもしれない、こんな事を望んでいたわけではなかったけど」
「流石です」
「……?ありがとう」
昼食、ユークさんにとっては朝食は軽く済ませた。コーンフレークにミルクをかけただけなんてそんな俗物的なものを食べているところを見るのはいつまで経っても慣れない。素直に感想を伝えてみると、適当なものだって好きだよとごく普通の笑顔が返ってきた。
「あーあ、もっと霞とか食べてるんだと思ってたのに」
「えぇ……?幻想上の生き物じゃないんだから……」

自殺を望んでいたわけじゃなかった、と言ってしまえるのが随分恐ろしい事のように思える。コーンフレークよりは霞食ってる方が似合いますよ、と揶揄うのはやめた。

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