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MM(東区の場合)


この話はフィクションです。実際の個人名その他もろもろには一切関係ございません

「……そろそろ話してくれないだろうか」
狭いアパルトメントの一室で、シグルス・ヴァルカスは聞く。もう何度も言った文言を繰り返しても、シグルスの目の前、窓を背にして簡素な木の椅子の肘掛と脚に両手足を縛られた男は何も言わない。ただシグルスを睨み付けるばかりだった。カーテンを締め切った部屋は段々と薄暗くなりつつあって、日が傾きかけている事だけがわかった。
「……貴方は、コレについて知っているはずだ。今のうちに話してくれれば無事に帰すことだってできる」
小さなポリ袋を見せる。中には干からびてミイラのようになったキノコが幾つか入っていて、俗にマジックマッシュルームと言われる幻覚剤の一種だった。
男はマジックマッシュルームの売人だったのだ。マジックマッシュルームを売りつけ、不当に金銭を得ている。島では違法の薬物はいくら取り締まろうがウジのように湧いて出てきていた。ギ、ギ、と木製の椅子が鳴るばかりで、売人の男はまだ何も答えない。
シグルスはチラリと腕時計を見る。そろそろ同僚と交代する時間だった。溜息をつきたくなるのを抑え、シグルスは同じ質問を繰り返す。
「貴方がこのマジックマッシュルームを売り捌いていた証拠はある」
「俺達はただ元締めの名前を教えて欲しいだけだ……南や西でも、多分貴方の友達は捕まってる。はやく言ってしまった方が身の為だと思う」

シグルスは「まだ五体満足でいたいだろう」と付け足すのを取り止める。付け足そうとしたタイミングで少し割れた音のインターフォンが鳴ったからだ。ピンポーン、と響く音はこの状況で聞くにはあまりにも普遍的で、あまりにもありきたりだ。
「出てくる」
律儀に言い残し、席を立つ。狭いワンルームでは、玄関も筒抜けだろう。チェーンを外し、訪問者を招き入れる。
「なんか聞き出せたか?」
ガサガサと2Lペットボトル入ったビニール袋を鳴らし、ルイ・ロレスカは明るく言った。
「いや……忍耐力はそれなりにあるようだ」
「それお前の尋問が下手なだけだろお坊ちゃん。交代交代、後は任せな」
はぁ、と今度こそシグルスは溜息をつく。
「その……頑張ってくれ」
「は?俺に言ってんのかそれ……尋問は確かに得意じゃないがお前よりはマシ、失敗した事ないのは知ってんだろ?」
「……ルイには言ってない」
「あっそ。向こうにキノコのシチュー作っといた。食っていいぞ」
「わかった」
バタン、ガチャ。再びドアが閉まり、鍵が閉まる。
「おまたせ。退屈だったろ?アイツこういうの下手だし……良い奴だからな」
持っていたビニール袋を床に置き、ルイは先ほどと同じように椅子に座る。
「ここからは俺とお話する事になる訳だが、俺はアイツみたいな生ぬるいやり方って苦手でな……アンタにはさっさと話してもらいたいんだ」
「……なに、すぐに話したくなるから安心しろよ」
「……」
「まだ黙るか……いいな、沈黙は金。黙ってりゃ俺達が痺れ切らして解放されるとでも思ってんのか?」
「お仲間、西区でボコられたらしいな。1人は肩の脱臼、もう1人は肋折って入院らしいぞ。怖いよなぁ……暴力ってヤツは」
「……」
ルイは一方的に話し続ける。淡々と情報を開示していくだけでも、何かがトリガーになって大抵勝手に話し出す。人はそんなに長い時間沈黙にも緊張にも耐えられないことをルイは身をもって知っていた。
売人をやっていたのだから、いずれこうなる事も上にいる人間は想定していた筈だし、下っ端如きは本当に何も知らないのかもしれない。それでも何か知っている可能性がある限り、それを教えてもらわなくてはいけなかった。
マフィアと名前が付いていても、やってる事は中央区の犬。ここがそういう場所だから、という理由でしか語れはしないが。
「……じゃ、ない」
「あ?」
「お仲間じゃない、顔も名前も、俺は知らない、西区で捕まったとかいうのも、今、知った」
トリガーは“お仲間”だった。掠れた声で、売人の男がやっと口を開いた。
「あぁそうか、それは悪かったな……上とは何で繋がってた?コレの卸しルートが必要な筈だよな」
「……」
「どこまで話していいか悩んでんのか?……今、ここで全部話すなら俺達が保護してやってもいい。お前が売人組織の上の方でふんぞり返ってるクソ野郎に殺されないようにな」
ルイは静かに、刺激しないように気をつけた声色で言う。あくまでも真摯に、話すつもりがあるなら丁重に扱ってやらない事も無い。今後使える材料は多ければ多いほどいいもので、あって困らない手札だからだ。
「……本当、か?」
売人の男だって疲れているのは確かだ。虚ろな目で、ルイの方を見遣る。
「あぁ。ただし隠し事はするな。全部話せ、何か一つでも隠したらその時点でお前に用はない」
今はまだ尋問であって拷問ではない段階でしかない。暴力に訴える前に話してくれればルイだって助かるのだ。
「…………」
再び男は黙り込む。何事か考え込んでいるようだ。もしかしたら当たりの可能性がある。何か知っているからこそ話す内容を考え込んでいる可能性。知らなければ、本当に末端でしかないのなら「知らない」とでも言って泣き叫べば済む話だ。

「それとも最後にいい夢でも見ないと話す気にならないか?」
ルイはシグルスから受け取ったマジックマッシュルームと蓋があいたペットボトルを片手に立ち上がる。
「いつもキメてんだろ?最後にキメさせてやるから戻ってきたら話せ」
ゆっくりと売人に近付き、顎を掴む。上を向かせるついでに無理やり開けさせ、口の中にマジックマッシュルームを突っ込む。
「っ……ヒ、ぁ、やめろっ……!」
「あぁ……悪いな、水がないと飲み込めないよな」
売人の頭上でペットボトルを傾ける。ドボドボと容赦ない勢いでミネラルウォーターは男の顔と、口内と床に溢れる。革靴を濡らす水を気にせず、ルイは言った。
「たっぷり水はあるから気にすんな。さっきまで飲まず食わずでキツかったろ?シグルスも酷いよなぁ……水ぐらい用意しろって言っとくから」
「っヴ、ァ……ガハッ……は、オェッ……!」
上を向かせた人間の口に無理やり水を流し込めばどうなるのか、ルイはわかりきっている。そもそも飲み込めるような勢いではなかったことも。殆ど吐き出された水の中には、先程食わせようとしたキノコも転がっている。
「あーあー、もったいねぇな。アンタらが売ってた売りもんだぞ?ちゃんとキマっとけよ」
「ッハー……はー……、ゥやった、こと、な……ゲホッ、」
「……やった事無い物を売り付けてたのか?」
「そうだっ……何が悪い!?俺はただ頼まれてッ……!テキトーに売ってくれって、!」
「そうだったのか。悪いことしたな、謝るよ。じゃ、さくさく話してこうな」
「わかった、わかった、からッ……」
水責めの一種だ。直接的な痛みよりも、こういう苦しさに弱いタイプだったのだろう。窒息する、という恐怖に売人は負けただけの話だ。すっかり濡れ鼠になった売人に向かって、ルイは問う。
「……よし、じゃあ俺の目を見ろ。コレを売り捌くように頼んだのは誰だ?」
じっと目を見る。全部話すまでここから離れる気はない、という意思表示。ルイのライムグリーンの目が、相当な圧力を与えていた。売人の男は部屋の温度が心做しか下がったように感じて、動かない手足を震わせる。水に濡れたからだ、と思い込むことでなんとか正気を保っている。
「東洋系の、顔をしてた。でも多分整形してる、名前、なまえは、シラカワ」
ルイの口調が幾分穏やかになった事で少し落ち着いたのか、男がゆっくりと、だが確かに話し始めた。
「……連絡先は」
「アンタに捕まるちょっと前に、繋がらなくなった……」
「……切られたのか。名前は多分もう変えてるな……職業はわかるか」
「知らないっ……知らない、けど、会うのはいつも南の、港の……コンテナ倉庫で、金渡して、引き換えにソレ渡されてッ……」
「それで?」
「それで……?多分、タンカーかなんかの、運転手、いつもオイルの臭いが、」
「東洋人に見えたんだな?」
「あ、あぁっ……そうだ、茶髪で、小太りの男……」
「南に出入りするタンカーの操縦士。茶髪で小太りの東洋人。使ってた名前はシラカワ。嘘はついてねぇな?」
「あぁ……この後に及んで嘘なんてつけるもんか……俺はそれしか知らない。多分、他の捕まったって奴も同じ男に渡されてた筈だ……」
「嘘つく奴はいるぞ?そういう時はもう少し痛い目見てもらうんだがアンタには必要なさそうだ。引き際を弁えててよかったな」
「は、はは……、さっきの、言ってた……保護してくれるって、アレ本当だよな?シラカワって奴、時々やべー目をしてたんだよ!本当に!ラリってたんだよ多分!おれほんとに殺される……」
「そこは安心しろ。この島の刑務所がどこにあるのか知ってるか?」
「?いや……」
「この下だよ。海中にある。違法なものである事に変わりはないからな、きっちり罪は償ってもらう。刑期中は外から手出しなんて出来ないから安心しろ、な?」
お前の刑期が終わる頃には元締めもとっ捕まえてブタ箱にぶち込むくらいはできるからよ、とルイは付け足す。
「……わかった」

売人を引き渡す。ホンモノのお巡りさんにいい顔をされないのはルイにとってはいつもの事だった。
1人になった部屋で、電話をかける。珍しく3コールで出たキュービック・ジルコニアに、仕事が終わった事を伝える。詳しい報告書は後で作るにしろ、さっさと伝えておくべきだったからだ。イヤホンを刺してハンズフリー通話に切り替える。
「もしもしキューさん?終わった……ただの売人で……あ?うん、引渡したよ。今のジラフ殿はああいうのマジで嫌うしな……今?今は掃除してる。アイツ床めちゃめちゃに濡らしやがって……あぁ、これ終わったら帰る。あ、そうだ……南区の港で取引してたらしい。茶髪で小太りの東洋人。タンカーの操縦士だろうから南に……西?そいつら今病院って事ぐらいしか……殺された?マジか」
西区でマジックマッシュルームを売っていた売人達。今は入院中だと聞いていたが、殺されたらしい。死因は失血死。夜中の間に侵入されて心臓を一突き。通話を切り、掃除を終える。わざわざ人気のないところを選んで借りている尋問用のワンルームには二脚の椅子しか置いていない。一応水道だけは引いてあるが、他は電気もガスも引いていない。綺麗になった部屋を見渡し、出る。
バタン、ガチャ。
施錠を確認して、ルイは事務所への道を帰ることにする。もうすっかり日が落ちて夜になっていた。


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