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Zn、或いは特効薬ではなく


16:25 マラカイトファミリー執務室

話がある、との通告がジェイドから届き、俺たち……マラカイトファミリーの人間は事務所で1番広い執務室に集まることになっていた。殆ど使われていないこの部屋は少し埃っぽくて、空気は重くて苦しい。俺から少し遅れて、執務室に入ってきかたのはユーク・アルヴェーンだった。後釜候補筆頭。この前行われた中央区との話し合いにもついて行っていたし、多分ザクセンのやり方を知っている。
「ユーク、お前……ザクセンが作ってくれてた料理の味、まだ覚えてるか?」
挨拶もそこそこになんとなく出てきた質問だった。俺の左隣に立っている同僚は少し言葉を選ぶような素振りを見せた後、羽のように軽い声色で答えた。
「質問の真意を考えるべき?……覚えてはいるよ、味覚が特別優れている訳では無いけど、俺は忘れることを許可されないから」
「そうか……いや、ならいい」
「? うん。魄さんは覚えてるの?」
「いや……どうだろうな、最近味はよくわかんねェ」
「そう、カウンセリングは専門外かな。ユーリの所の子が得意らしいよ」
ザクセン・アンハルトの死について、ユークと話すのは初めてだった。なんせついこの前の事だし、そもそもそんなに話すような間柄でもなかった。

「そういう事じゃねぇんだけど……ま、受け取っとくわ」
珍しくきっちりとスーツを着込んだユークは、違うの?と答える。天才肌の同僚はやはり人とは感覚が違うのかもしれない。そういうアドバイスを求めていたわけじゃねェ、とでも言ってみるべきだったか。
「料理の味は電気信号だよ、一次感覚ニューロンを直接中枢神経に伝達してるだけ。電気を流したって人は味として認識したりもするらしいよ。甘いとか酸っぱいとかね……栄養を摂るだけなら味覚なんていらないのに、どうして発達したんだろうね?」
「食は楽しむものだからだろ。娯楽……快楽の一種。栄養摂取の為だけなんてそれこそ味気ねぇよ、お前だってつまんなかったとか言って夜食作らせてただろうが」
「ふふ、今の魄さんは食事という娯楽を失っているというわけ。戻るといいね」
「あんま期待はしてねぇな、日本人は繊細なんだ」
「ふぅん、俺にはよくわからない感覚だな」
だろうな。と答えるのはやめる。それなりに親しくしていたように見えた同僚が死んだというのに、ユークはどこも変わらないように見えた。いつも通り、平然と日常を過ごしている。仕事は多少増えたようでもあったけど、彼の処理能力なら特段問題はない範疇だったことだろう。なにも変わらない、というのが妙に恐ろしい。
「故人を忘れる時はよ、声から忘れるって言うだろ」
「そうだね」
「そうじゃないって事はよォ、コレは大事なモンが何なのかなんも見えちゃいなかったことへの罰ってことになるよなァ……」
罰、と繰り返してユークは笑う。どうして?随分面白い事を言うんだね。
「……ザクセンにとっては死ぬことだけが救いだった。銃声は賛美歌よりも正しい祝福の音だったんだ、とでも思っておくべき。魄さんが罰だの罪だの考える必要は今のところないよ、まぁ……考えるのは勝手だけど」
「……お前、ふざけてんのか?俺らはなんか、してやれたんじゃないのか」

そんな風に済ませていいモンじゃねぇ、何かするべきだっただろ、と掴みかからなかっただけいいと思って欲しい。視界の端に捉えた横顔がこちらを向く気配はなく、持ち主はまだ帰っていない椅子を見つめている。
「……一応、慰めたつもりだったんだけどな。死体はなにも言わないんだから、適当に都合のいい考え方をしたって怒らない」
「お前、それが本当に慰めだと思ってンなら本当……考え直せ」
「思考に干渉する権利なんてどこにも存在しないんだよ?そろそろジェイドが来る時間かな……」
「はァ……そうだな」
タイミングよくドアが開く。椅子の持ち主、我らがボスたるジェイドが部屋に入ってきた音だ。片手で煙草に火をつけるのも見慣れた光景だった。
「……アイツは死んだ。抜けたいなら抜けろ」
煙草の煙と共に吐き出される低い声。ジェイドにしては喋っている方だなと場違いな事を思う。
バン、と机に薄い書類が叩きつけられる。西区の自治権を正式に委託する、とかなんとか。中央区に出かけていた用事はあの書類の為らしい。
「……残るなら、2つ要求する」
ジェイドの話は簡単だった。ザクセンがいたこの島を消すな。俺に不味い煙草を吸わせるな。単純な命令は守りやすくて助かる。それだけ言ってジェイドはその場から立ち去ってしまい、それに倣うように退室していく。残ったのは俺とユークだけだ。

後釜に据えられたコイツが今何を考えているのか俺にはもうわからない。ジェイドが机の上に残して行った書類を回収し、顔にかかる髪を指先で弄びながらユークは言う。
「髪でも伸ばそうかな」
求めてるのはザクセンでしょう、とでも言いたげだがそれを口に出すことは無く。
「ンなことすんな、やめろ。お前多分似合わねェよ」
俺がそう答えると、
「魄さんは……優しい人なんだねぇ」
と返事が返ってきた。多分本当にそう思っているのだろうな、と感じさせるような声色だった。
「優しい?んなわけねェよ……俺は何もしなかった、できなかったんだ……優しいなんて言ってもらう資格ねェよ」
「いや……まぁいいや」
そうだ、と思い出したようにユークは言葉を続ける。
「味覚障害にはね、亜鉛がいいらしいよ?後で論文を送るね」
「お前さァ……あー、いや……何でもねェ」
「?じゃあ、これで」
後日、本当に味覚障害と亜鉛の関係性についての論文と走り書きの簡単な要約が届いた。分厚い論文がきっちりと日本語訳のものな辺りはアイツなりの気遣いということだろうか。

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