子どもに与えた被害
今日は、私が事件に遭ってから心から消えない言葉を書こうと思う。
「私が、ママと一緒に行っていたら助けられたかもしれない」
という、当時、年長の娘の言葉だった。
事件現場が自宅から近く、警察、救急が来るよりも先に家族が来た。
寒空に横たわり、痛みに悶える私を見た娘が、上記の言葉を泣きながら言った。
あれから、10年が経つけれどもその言葉を言わせてしまったことが非常に悲しく、心に暗い影を落としたと思っている。
私が住んでいる地域は、18歳以上は1人1台車を持っているような地域である。けれど、その日はたまたま「ここは車で行ったら高速代と駐車場代で結構かかっちゃうから、電車で行こうかな」ということで、数年に1回くらいしか乗らない電車に乗った。
それが、全ての終わりの始まりなのだけれども。
乗り換えの駅でドトールに入って紅茶とホットドッグを食べながら、Twitterをしていて「来年は、新しいことを頑張っていく」ということを最後につぶやいた。電車を1本遅らせて、最寄り駅までの電車に乗った。
駅から家まで歩いて5分くらいなので、電車を使うときは主人に駅まで迎えに来てもらっていたけれど「最近運動不足だし、歩くかな」とスマホで音楽を聴きながら歩いていた。その時に聞いていた音楽というのがこれだ。
ドラマ、HEROのテーマソングだった。
事件の前に、HEROを見ていて再生リストか何かでこれが入っていて、
これを聞きながら歩いていたら、後ろから抱き着かれた。
今どう考えても皮肉な曲だと思う。曲に罪はないけれども。
話を戻すが、娘に上記の言葉を言わせてしまってから、私と娘の情緒的な関わりというものがとても温いものから、怖いものに変わってしまった。
いつも、保育園にお迎えに行くと娘が「ママー!だっこ!」と言って、抱っこして階段を降りて、ほかのお子さんと一緒に1時間くらい遊んでから帰っていた。
事件後、「お子さん、年長さんですよね。だっこは絶対にしないでください。今、腰椎が完全に固まっていないので余計に圧迫されますから。」
それから、娘が「抱っこ!」と言っても、「ごめんね、できないの。ママ、怪我しちゃったから、治るまで待っててくれるかな?」という言葉を返した。娘は唇を嚙みながら涙目で「私が助けてあげられなかったから、ママ、ごめんね」といったその時の潤んだ眼と悲しみは今でもずっと、胸の中にある。私は、自分が今まで当たり前に出来ていた家事だったり、趣味だったりが痛みでできないストレスがどんどんと家の中で伝播していって、主人と事件のことで何度となく言い合いになった。建設的に未来を生きる主人と事件によって過去に生きる私との間で生まれる溝というものは、計り知れないものになっていたと思う。弁論の際にも述べたけれど「娘が求めている、抱っこをしてあげることもできない、笑顔も私に対して無理をしているのではないかと信じることが出来ない心になってしまったことがとても悲しい」と。
「私が、ママと一緒に行っていたら助けられたかもしれない」
そういわれることがどれだけ悲しいことか、加害者は分かるだろうか。
被害直接与えたのは私だけなのかもしれない、けれども私に与えた被害以上に子どもにまで暗い影を落とすという二次被害がとてもじゃないけれど許せない。
娘は、アスペルガー症候群で児童精神外来に通っていたのだが、医師から
「娘さん、お母さんのお顔の色をすごく気にされてるやん、何があったん?
こんなに気を遣う子やなかったのに。」
泣き崩れるように、娘を看護師さんに診てもらいながら、医師に事の経緯を話した。医師は、「お母さんが思っているよりも、大丈夫なふりをしても子どもって、思っている以上に見てるから。わかっちゃうから。まず、お母さんの治療しよう。そうせな、お母さん自分を殺めてしまうやろ。」
そう言葉が返ってきた。私は、何事もなかったかのように過ごしていたようなつもりでも、色々な場面で壁を作り見たくないものを見ない、触れない、情緒的に揺れることはしない。そうやって、感情の起伏がない人間になってしまったと思う。「娘さんも、被害者や」その言葉は、私にとってあまりにも背負うには重すぎる、悲しいものだった。
犯罪を犯してしまった人に考えてほしい、犯罪を犯してしまった加害者の人にも家族がいる。それと同じように、被害者にも家族はいる。
悲しみの種類は違えども、皆「もうだめだ」と思いながら、生きることを選んだんだって。司法の与えた罪が終わっただけで、この世界で生きている以上、罪が生まれた事実は消えないということを強く思ってほしい。
言葉で「未来を見てほしい」、「日常を壊してすみません」、「傷つけてすみません」、「必ず更生します」っていうのは、とても簡単で簡単であるからこそ、信じ切ることはできないのだ。
加害者の言葉で「未来を見てほしい」というものがあったが、だったらば、私の未来を担保して回復させてから、未来を見てくれと言ってほしかった。
何の根拠もない、未来を信じられるほど、心の余裕がないのだ。
それ以上に、二次被害的に被害者になった娘の気持ちを返してくれと思う。
「もう、抱っこなんて恥ずかしい」と言われるまで、抱っこしたいと思った私の気持ちや、抱っこしてほしいとすがる娘を涙をこらえながら宥めた私の気持ちをなかったものにしてほしい。
けれど、過去に起きてしまった事件や人に抱かせた悲しい気持ちをなかったものにできないことなどは、重々分かっている。
だからこそ、もうこのような思いをする人が増えていくことだけは見ていたくない。
いつか、必ず終わる日が来てしまう。
生と死という、暴力の中で人はその生と死の間だけは、
自分の思ったことを表し、生きることが出来る。
生に抗うことも、死に抗うこともできない私が、生と死を結ぶ線の中だけでも、「なにができただろうか」と後悔せずに、死を迎えるためにも
悲観的である思考から抜け出し、過去から這い出す必要がある。
その力を蓄えるためには、一番近い敵である自分と毎日、戦わなければいけない。1日たりとも、忘れようとも忘れ果てようとしても、忘れられないこの過去の出来事を潔く、受け入れ、活かすことをしなれば、本当に何の意味もない事件だったと思って、死んでいくだけだと思う。
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