感受性という病、感受性という病ではないもの

※散文

感受性が人の何倍も強いと言われてきた。

10年間に及ぶ小児カウンセリングで言われた言葉だ。

私にとって世の中は目を覆いたくなるものが沢山ある。

死。夏。病。血。塩素。射線。子どもの声。人の目。学校のチャイム。虫が死んでいくところ。恋。…

全て書く気はない。自分がどんな世界にいたとしても、降りかかる世界は平等。

自分という病を携えて生きていくしかないのに、治療法はわからない。




毎日のように、他人の思考が洪水のように流れ込んでくる。

微細な感情の揺れ。全部感じ取れてしまうから、ここはこんなに息苦しくなる。

人の微妙な気持ちと、中途半端に育った自分という異物。
自分さえいなければ、と思う。
自分が全て悪いのなら、と思う。
他人を責めなくて済むのに。




そんなことは無いんだよと教えられたけど、やっぱりあると思う。言葉のヘルツや文字列から漂う何か。
勘は大抵当たる。ひとの心がわかる。偶然なの?
妄想なの?
人のこころなどわからない?

わかってしまうからこんなに辛いんじゃない?

手に取るようにわかるから、だからこんなに押し殺さなければならなくて。
こんなに醜いものを知らなきゃならなくて。




大体私が悪いのだろう、たぶん

そう思っていないとやっていられないのだ。

相手が悪いなんてことに気づいたら自分は崩壊してしまうから。

だいたい、私が悪い。

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