その日暮らしができた若さ

「若気の至り」

この言葉通り、だれしも若いころに無謀なことをした経験ってありますよね。


今回は今から10年前、私が20歳の時のお話をしたいと思います。


その当時、私は近所の専門学校に通う、看護学生でした。

成績は可もなく、不可もなく。

学校をさぼることなく、それなりの生活をしていたと思います。


しかし、私の中で「私の人生、このままでいいの?」という疑問が出てきました。

というのも、自分が看護師になりたかったわけではなく、親の勧めで受験したからです。

私が本当に受験したかったのは、建築系の大学

これは高校受験の時から親に伝えていましたが、結局最後まで許可がおりず、成り行きで看護学校に入学することになりました。


しかし、ぼーっと授業を聞いてるときに、学校の外の工事現場を見て「私の人生、こうじゃない!」と感じ、思い立ったら即行動!

翌日には家を飛び出し、当時交際していた彼氏の家へ行く段取りができていました。

ここで母の最終切り札、父親が登場

両親は離婚していたので、父親が出てきたことは完全に想定外。

驚異のファザコンである私はあっけなく陥落し、1年休学し父親のもとへ預けられることになったのです。

その後おとなしく…なんてできるわけもなく、わずか3か月ほどで父親が

「この子は手に負えない」

とギブアップし、祖父母の家へ行くことに。


老夫婦の2人暮らしだった祖父母は最初こそ喜んでくれたものの、

「あんたら親が見られないのに、私たちが見られるわけがない」

半年でお手上げ、万歳。


とうとう行く先がなくなった私は、実家暮らしをしていた彼氏(最初の人とは別の人)の家へ無断で転がり込みました。

しかし生活費がありませんでした。

支援してくれるような親族はいないので、彼氏から月3万円のお小遣いをもらい、やりくりする毎日。

この頃には復学していたので、何かとお金が必要でした。

そのため、お昼ごはんは食べずに、タバコを吸ってごまかすのが当然の生活でした。


それでも急な出費があると、残り1週間で3000円しかないこともありました。

そんな時に向かう先はパチスロです。

好きで行くわけではなく、生活費に困った時にお金を増やす方法がこれ以外に思いつかなかったのです。

驚くべきことに、この頃の勝率100%

彼や彼のお友達に「どの台が当たると思う?」とよく聞かれたものです。

なんとか看護学校を卒業し、就職してからは1度も行ってませんし、行こうとも思いません。


こんな無茶ができたのは、若かったことに加えて、人に恵まれていたからだと思います。

両親、祖父母、彼や彼のお友達、彼のご両親…たくさんの人に支えられバカなことをさせてもらいました。

このおかげでたくさんの経験ができ、それは今でも私の中で大きな実りを感じさせてくれます。

何よりも視野が広がり他の人とは違う角度から物事を見られるようになったのが、私の中では1番大きな成果です。


でもオススメはしませんよ!

ただ運が良かっただけで、下手したら死んでた…なんてことも多々あったので。
※この裏話に関しては需要があれば、有料版で書かせていただくかもしれません。刺激が強く、誰にでも知ってほしいことではないので、無料提供できずごめんなさい!

ということで、今となっては笑い話の黒歴史でした(笑)





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