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私の「正義」は「法」じゃない

小さい頃、私は3つの正義を習いました。

「法律を守って警察に捕まらないように生きなさい」
「必要悪ってこともあるから、法の抜け道を探れ」
「正しいと思ったら、悪いことでもとことんやりなさい」

頭が固く頑固だった私は、はじめに一つ目の教えを守ろうと決めました。
しかしこの教えでは、自分の身を守れないと痛感する出来事があり、変更。

悪いことを絶対にしないって難しいんだなぁ…
そう思い、法の抜け道で自分の思いを貫こうとしました。
ところが20歳になってもその道がわからず、両親を悩ませる子に…。

もういい!自分が正しいと思ったら、捕まってでも貫いてやる!!
で、本当に捕まるところでした。
危ない、危ない…。
通報されなくて良かったと、心底安堵しております。


もう、答えなんてないじゃん!!

しかしここまで来て、ようやく気づいたのです。
私は提示されたものの中から選ぼうとしたから、できなかったのだと。

この教えは、それぞれが自分の経験や価値観から作り上げた「正義」であって、私は違う人間です。
それならば私の形を探ろうと思い、私の正義は
「子どもたちに堂々と胸を張って言えるのか」
になりました。

子どもを産んでから絶対にできなくなったことが、「無茶な選択」です。
自分に犯罪歴がつけば、子どもは「犯罪者の子」になってしまう。

しかし正しく生きてきたからといって、警察は守ってくれません。
「実害がないと動けない」
それが日本の警察です。

ましてや法整備がされていないところでは、自分の身を誰かが守ってくれるなんてありえないのです。

私はwebライターを生業としていますが、webライター界には明確なルールがほとんど存在しません。
そこで話題になった「搾取ライター」のように、他人を喰い物にする輩が出てくるのです。

ここでも私は、子どもに胸を張れる選択をします。
見て見ぬふりをする…賢い選択だと思いますが、私はきっと傍観者になった自分を誇れず、子ども達にも話せません。

だから微力であれど、声をあげます。

人を泣かせた金で食う飯はうまいのか?
人の手に渡るはずの金で買った子どもの服は、お気に入りだと胸を晴れるのか?
ピンハネの能力ばかり高くて、恥ずかしくないのか?

そして搾取ライターに喰われている人にも言いたい。

あなたの能力は、ほんとにその程度なのか?
自分の持っている力全てをふりしぼったうえで、そのポジションにおさまっているのか?
あなたを助けてくれる人は、本当に周りにいないのか?

口は悪かれど、これが私の「正義」です。

今を変えることができるのは、自分自身。
周りがいくら騒げど、動くべき人が動かなければ現状は何も変わりません。

少しでも多くの方が、ほんの少しの勇気と生きていく力を獲得されることを待っています。






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