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3/18 名前も知らないあなたへ

私があなたのことを知ったのは去年の8月の終わり頃でした。その当時の私は初めての出産を終え家に帰って来たばかりで昼夜関係ない日々を送っており、心身共にボロボロでした。

あの頃は朝起きて顔を洗うことも出来ずに、というか、いつが朝なのか夜なのかもわからず、時空の無い世界に放り込まれただただ目の前の泣いている赤ちゃんに翻弄され続け、世界から私一人だけが取り残されたような気持ちになっていました。

ある日の真夜中2時くらい、「家に帰ってきてから1回も外に出てないな」と思い、部屋の窓から外を見たらあなたの部屋から灯りが洩れているのを見つけました。その光を見た時私は「一人じゃない」となんだか心強く、そして優しく励まされたような気になりました。

不思議ですね、子どもを生んで夜中に外を見るまではそこに人が住んでいたことさえも知らなかったのに。でも顔も名前も知らないあなたに私は毎日励まされていたんです。

夜通し部屋に灯りがついている日もあれば一日中真っ暗な日もあって、夜になると「今日はどっちかな」と窓から今日は部屋に灯りが点いているか、見るのが一つの楽しみになっていました。

あなたの部屋の灯りを知るまでは夜が来るたびに暗闇が私ひとりだけをこの世から飲み込んでしまうようで嫌いでした。でも夜、あなたの部屋から灯るライトの光を見ると真っ暗だけど一人じゃないと思えたんです。

私はあなたの顔も名前も知りません。あなたも私を知らないでしょう。私たちは他人。でもたとえ他人であっても、人の営みがそこにあると感じられることで「個」の枠を越えて、人が確かにそこにいると思えて、一人じゃないと思えるから不思議です。誰かがそこに生きている、という感覚はこんなにも暖かく優しいものなんだと強く思いました。

あれから半年以上が経って私はもう以前のように窓からあなたの部屋の灯りを探すことはなくなりました。久しぶりに窓からあなたの部屋を覗いたら、なんだか慌ただしい風景が。この春、あなたは新しい土地で新しい生活を始めるのですね。どうか新天地でもお元気で。

私とあなたは他人だから「ありがとう」なんて直接お礼は言えないし、お礼を言ったら気持ち悪がられてしまうからここでしか言えないけど、でも本当にありがとう。あの頃の私は一人じゃなかったし、あなたも一人じゃなかった。ありがとう、ありがとう。

うちの金魚に美味しいエサを食べさせたいと思います。