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キーワードで振り返る2023年暇情勢の概況(杉本健太郎)『暇』2023年11月号

2022年7月、本誌『暇』誌を創刊したのは東京・高円寺であった。『暇』誌創刊の発端は、そのころ私の周囲にいた者たちの中から「暇だなあ!」の第一声とともに高円寺を訪れる暇人が相次いで現れたからだ。訪れる暇人には高円寺駅北口すぐの中華料理店「福龍門」でたらふくチャーハンを食わせ、ひたすらビールばかりを飲み、昼からただただ酒を飲み飽きるまでしゃべり続ける。中でもある者は「タイムマネジメントがちゃんとできていれば必然的に暇になるのがあたりまえだ」「だって、暇は作るものだから」と持論を展開していた。そこに高円寺での求道としての暇、すなわち「暇道(ひまどう)」の端初があった。

キーワード①【ご入厚/ご上厚】

2023年の暇情勢は高円寺「福龍門」で静かに生まれた暇道を一歩前進させるものとなった。6月、私は約11年住んだ高円寺を離れ、大厚木(神奈川県厚木市)に引っ越し、『暇』発行拠点を中町2丁目の昌栄プラザに移した。「厚木バスセンター上第1回#だじゅんフェス」という夏フェスの計画を耳にしたのは3月ごろ。大厚木の音楽ライブ制作団体リミットオブライフのメンバー(元#だじゅんのおはやしだ・大石ら)から、その企ての壮大さを聞くにつれ、私は驚愕し思わず膝から崩れ落ちた。高円寺も歴史的にみれば80年代パンク野郎をはじめとするミュージシャンの街だった。だがこれから巻き起こるであろう大厚木のカルチャーシーンのイキフンはやみくもなほどの壮大さばかりを感じさせた。
そんな#だじゅんフェスの動向を横目で見ながら5月には神保町ネオ書房アットワンダー店での久喜ようた個展「109の煩悩」に合わせて会場配布用に『暇』号外「久喜ようたとやはり厚木をやる旅」を発行。個展来場者の中からもその後、厚木へ来訪する(厚木をやってみる)人びとが相次いだ。中でもレブル1100で早朝ツーリングに訪れた井苅和斗志さん(「にしんを食べると怒らない」サークル顧問)は「入厚」という語を独自に生み出すまでに至った。

5月22日、福岡から空路でご入厚した写真家・斎藤モトイ氏(厚木バスセンター裏)

その後、「入厚」が地域情報紙「タウンニュース」紙上に登場するのは8月の#だじゅんフェス直前のことだった。
「自分たちは厚木に入ってくる人の事を『入厚』(にゅうあつ)と言います。入厚を盛り上げたい」と元#だじゅんのおはやしだが取材に応じている。
類語として「上厚(じょうあつ)」もあるが「上厚」は厚木市外から厚木市内に引っ越してくる様子を指す業界用語。口に出して言うときは「ご入厚」「ご上厚」と丁寧に言う。

キーワード②【風呂をやる/風呂になる】

私が高円寺を出て現在の『暇』誌の発行拠点の昌栄プラザの入居日(厚木ガスの開栓立ち会いの日)に早朝から急に現れたのが山賊ふみまろだ。前日に久喜ようたの個展に来場した翌日であった。ふみまろは「馬鹿すぎて天才」とも評されるあらゆる意味で社会性のたがが外れた大学生だが、そこに厚木のイキフンとの親和性があった。『暇』7月号掲載の「ふみまろの因数分解①丸裸になる平等とは?」で彼自身の言葉で詳述されている。これが「風呂をやる」の初出だ。

社会人である方たちはストレスの大元である仕事から離れて暇になれば、必然的にストレスは減ることになります。人と理解し合うためには、このストレスという荷物を降ろさなければなりません。ぜーんぶストレスが悪いのだ!全人類暇になろう!「暇」をやる。(中略)今まで体感したことのない暇、厚木で体感出来ます。というのも、厚木の住民は暇であるため、風呂をやっています。何を言っているのか分からないでしょう。とにかく暇で風呂をやっているんです笑。この意味不明な言葉を因数分解でもしてみますか〜。
容易に想像は出来ると思いますが、風呂をやるとは風呂に入る、に近い意味合いを含んでいます。風呂に入ってリラックスし、気を許している精神状態を私は「風呂をやる」と言っているのです。

その後、ふみまろの「風呂をやる」概念は急速に「風呂になる」へ進化した。

キーワード③【納骨もやる】

高円寺から厚木に拠点を移した理由は、『暇』誌を創刊した昨年7月に私の父が死去し(享年88歳)、納骨が済んでいなかったことがあった。母は現在厚木市内で一人で暮らしている。そもそも私自身も厚木市出身だが、「そろそろ厚木に帰るか」というイキフンで一周忌法要で納骨もやる計画を進めていた。
7月1〜2日に福島から親戚を招き、納骨式を宮の里の墓園で行う、飯山温泉・元湯旅館で温泉に入って一泊というプランで進めていたが、久喜ようたと山賊ふみまろが急に納骨に行くと言い出したのは想定外だった。だが、考えてみると「ただ暇だから納骨もやりに行く、親戚じゃないけど」は暇道としては100点の行動だったのではなかったか。元湯旅館でひたすら飯を食う、酒を飲む、温泉に入る、また飯を食う。その何も生み出さないサイクルの中で生み出された久喜ようたのライブドローイング作品は現在はニュー本厚木ネオ書房(昌栄プラザ)で常設展示している。

久喜ようた・納骨後のライブドローイング(飯山温泉・元湯旅館)

キーワード④【#だじゅんは概念になった/イキフンでわかれ】

「#だじゅんフェス」に関しては前号で元#だじゅんのおはやしだによるレポートが書かれている。詳細はここでは省くが、コロナ禍/コロナ以後で時代のルールが変わった様子をよく示している。「概念」になるとは、バンドが急に解散した場合、そのバンド名を冠したイベントについては、すでに多くの人を巻き込んでいる以上、それはそれとして「概念」として残さざるを得ない状況のことを言っている。これは現在進行形の人の動きに関わるので私からはっきりしたことはまだあまり言えない。「イキフンのイキフンをわかれ!」と主張する本号掲載のはやしだ路上音楽日記「アーティストはイキフンがすべて」を参照してほしい。

キーワード⑤【暇に追い詰める】

11月11日、私は暇だからという理由のみで久喜ようた著『豚の慟哭』の舞台となる石垣島に向かった。カロライナの肉屋でやはり久喜ようたが絵を描いていた。その数日前に石垣島に到着したネオ書房店主の切通理作さんもカロライナの肉屋に現れる。何も起こらない時間がひたすら過ぎる。この日、深夜3時までひたすら酒を飲み飽きるまで地元のあるバーで延々しゃべり続けたが、印象深かったのは切通さんから提示された「暇に追い詰める」という言い方であった。
暇に「追い詰める」とは何なのか? 暇道の新たなイキフンが始まった。


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