3時50分。 まだ寝れずにいた。 精神疾患の治療のため何種類か薬を処方してもらっており、その中には眠剤もあった。ゾルピデム(マイスリーともいう)を寝る前に2錠飲むよう言われていたがわたしはそれがめんどくさくて飲んでいなかった。 そのせいで、寝れない日々が続いていた。 4時をすぎたころおなかがすいてたまらなくなったわたしは ひとりキッチンの前であんぱんを貪る。 すこし明るくなってきた廊下で無心に何かを食べる姿はどう見ても醜い肉の塊。ものの数分で罪悪感と満腹感に満たされた
恋人にどれだけ愛の言葉をもらっても、 親友にどれだけ強い言葉をもらっても、 家族にどれだけ優しい言葉をもらっても、 どれも信用することができない。 どれも本当の言葉だと信ずることができない。 これは結局、自己肯定感の問題だと思う。 自分で「自分は醜い」と思っている。 自分で「自分は褒められるに値しない」と信じて疑わない。 それが正しい、世の中の真理だと思っている。 その点では自意識過剰だといえよう。 そんなわけで、 「すごいね」「かわいいね」「おしゃれだね」など言われて
知らない土地に行くことが好き。 新しいことが意外と好き。 慣れてくると飽きてしまう自分を知っているから、何度も同じ土地には行かない。 常に新鮮さを求めて生きている。 英語が好きだったのに、いつのまにかスペイン語が好きになっている。 手帳派だったのに、いつのまにかTimeTree派になっている。 電車が好きだったのに、いつのまにか歩くことが好きになっている。 晴れが好きだったのに、いつの間にか曇りや雨が好きになっている 友達といることが正義だと思っていたのに、いつのまにかひ
幸福は麻薬 一度それを味わってしまえば、もう二度と忘れることはできない 再びその快楽を求めてしまう 幸福は多様な仮面をかぶっている 哲学や観念の仮面をかぶった「幸福」は自分の心の充足度を 経済の仮面をかぶった「幸福」はお金の面での豊かさを意味する 愛というものがあるからこの世界に執着してしまうし この世界に「幸福」を求めてしまう せっかく生まれてきたからには幸せになりたいはずなのに 求めれば求めるほど 苦しい世の中になっていく そんな矛盾した世界に 生まれてしまったのです
私は「選択する自分」に嫌悪感を抱いている。 選択をした当時はそれが最善だと思っても、振り返ってみればそれが最悪であることに気づく。人生は選択の繰り返しだとよく言ったものだが、私にとってそれは後悔の繰り返しであることに相違ない。自分の中の正義が毎秒変わっているとしか思えないのだ。 中学生の頃、好きな男の子と学校の帰り道を歩くことが何度かあったがその時話したことを一言一句後悔するということが毎回のようにあった。恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない、夜、布団の中で自分だけの大後悔
漠然とした不安が私を襲った。 高校3年生の1月、一日の終わりを告げる美しい夕日を見つめながら、涙が出た。理由は分からないけれど、涙が止まらなかった。今隣にいる友人と数か月後には別々の道を進むことになる、という理由かもしれないし、もしくはただ単純に夕日が綺麗という理由かもしれない。 どちらにしても、今という瞬間がずっと続けばいいのにと思っていることだけは確かだった。 私たちは、将来に向かってお金と時間を投資して真剣に考えたり、試験に向けて死ぬ気で頑張る。もしくは「あんなこ