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#48 棒つきキャンデーをかみ砕かない

最近、いろいろ気分が悪くなることがあったり、もやもやすることがあって結構ため息をつくことが多い日々を過ごしています。

そういうときの解消法として、私の友人は「最近の鬱憤が溜まっているからアルコール入れたいなぁ」みたいなことを言ってたりして様々な方法があるわけですが、私は結構たばこを吸いたいなぁとちょっと思うようになりました。

リッチなため息をつきたい

私はたばこを吸いたいというより、リッチなため息をつきたいというのが理由としてあっているのかなぁと思います。私は結構、いろいろ鬱憤を吐き出すというときにため息をつくことが多いのです。その時に、なんかため息をつく口実としてたばこを吸いたいなぁと思うのです。

たばこを吸っている人を見ると、たばこを吸ってニコチンがどうたらでストレスが解消するというよりかは、たばこに火をつけて、たばこを吸って、煙を吐いて、灰皿に捨てるという所作がとても好きなのです。今って、結構忙しいし、ぼーっとすることとか、スマホとか見るとか空白の時間を過ごすということがないのです。だからこそ、空白の時間を過ごすためにもたばこってうらやましいなぁと思うのです。

空白というのはとても大切だと思っていて、今は様々な情報過多で頭がずっと何か考えていたりして疲れちゃうこともあるので、たばこ本来の機能ともいえるのですが「ちょっと一休み」みたいなことができるというのは大切なことです。一回頭を空っぽにして「あの時こうすればよかったなぁ」とか、「今日のご飯をどうしようかなぁ」とかありきたりなことを思うことで一回頭の中をリフレッシュできるというか、整理できるのです。気分転換もできますからね。

棒キャンディーをなめる

まぁたばこってくさいし、普通に高い印象があるので最近は棒キャンディーをなめるようにしています。ちょっと前までは、某キャンディーの方がはるかに高くなっていたのですが、今考えてみると割とトントンなくらいにはなってきました。

棒キャンディーの何がいいって、ふいに飴を口から出すときなんですよね。口から取り出すときが一番味を感じる部分だと思うし、ずっと感じていたフレーバーの味がしなくなる口のさみしさと言ったらあれに勝るものはないのかなぁと思います。だからこそ、棒がついているキャンディーを選ぶ理由なんですよね。

昔って、棒キャンディーとかは持ち手の部分がしなったりして最後までなめきれないって記憶が強いし、そうでなくとも途中で飽きて飴をかみ砕いてしまう記憶があります。子どもの頃は何も考えずに飴をなめていたからこそ飽きるだとかそういう感情が生まれてくるわけですが、今はなんか考え事をしながら飴をなめているので「気づいたら舐め切ってた」みたいな感じです。煙草を吸うときだってそうなのかなぁみたいな感じがします。

しかし、今って棒キャンディーが絶滅危惧種といってもいいくらいにはなっていると思います。私の住んでいる場所から一番近いスーパーでは売ってなくって、コンビニに辛うじて売ってるくらい。確かに今ってコロナ渦なので口元がさみしいなぁ~って思った時に棒キャンディーはマスクをしている中で食えないよな、と思ってます。だから、私はコンビニで棒キャンディーを買いあさって車の中にいっぱいストックしています。

瞑想とか流行ってるけど

今ってスマホ疲れみたいなのがあって、情報を断ちましょうといったようなノーメディアデーを作りましょうみたいな風潮があったり、情報中毒を防ぐために瞑想をしましょうみたいな話が流行っています。そういう時に、たばこみたいな何も考えない時間というのは現代社会において重要なのかなぁと思います。だからこそ、私は棒キャンディーを食べるしちょっと大人ぶった感じを装っているのです。

本日はここまで。お読みいただきありがとうございました。