#52 〆切ってめんどくさい

今は自由主義とか言われるように、私含め自由な存在でありたいと願う日々。それに対して、私たちの自由を拘束する壁のようなものとして存在しているもの、それは締め切りです。「いやぁ~今日はゆっくりしようかなぁ~」とうかうかしている休日にも「明日こんな締めきりのやつがあったな…」と思い出してなんか気分が落ち込む。

かの社会学者、M.アーチャーも「私は自由な行為者だと自覚すると同時に、拘束された存在である」みたいなウンたらカンたら言っているように、自由なはずなのになんだか閉塞感を感じてしまう日々を送っているのですが、その要因として締め切りという存在は非常にめんどくさい。

締め切りって重要なのはわかる

締め切りというのはやる側から言ったらめんどくせぇなぁ、とか言って嫌な印象を受けるのですが、指示する側からはめちゃくちゃ重要です。だから、締め切りという存在はどうやら人間社会には必要不可欠な存在らしいです(!!)こういう社会システムを見ると、割と人間社会って合理的にできてるんだなぁって思います。すごい。

しかし、締め切りが決まっているからといってちゃんとやるかというのはやる側からすると割とまちまちです。「実はこの締め切りを過ぎても受け取ってもらえるんでしょ?」とか、「別にこれ出さなくてもどうにかなるし」みたいに悪い知恵が働きます。こんな感じで、締め切りという強制的圧力に対して抵抗しようとする人間がいることに、締め切りを設定する側も気を付けなければいけないこともあります。(自分もありました)

締め切り、どうする派?

皆さんは締め切りはどうする派ですか?例えば、ウマ娘の脚質だと「逃げ」「先行」「差し」「追込」の4タイプを締め切りに例えてみましょう。

「逃げ」タイプは、提出するのがクソ早いです。しかし、スタミナがなさすぎるので資料をななめ読みしたり、文献をあんま読まずに「まぁ締め切り意識したくないからとりあえず出しとくわ」みたいなタイプです。「こんだけ時間あるんだから、もうちょい考え直しておくれよ」みたいな感じ。

「先行」タイプは、それなりに早いです。依頼して締め切りを設定した日からしっかり意識しながらそれを提出してくれる、という提出される側にとっては一番助かるタイプです。

「差し」タイプは、日程をみて「あっやべぇ!」と気づいて急いでやり始めるタイプです。普段は意識していないんだけど、「あと一週間だしな~」ってふと意識し始めて「そろそろやりますかぁ」って感じでおもむろに腰を上げて、やるタイプです。個人的には、質がまあまあで、「締め切りの前になると殺到する現象」の発生源となっている場合が多いような気がします。

「追込」タイプは、締め切りはわかっているんだけどほんとの直前になるまで「まぁいっしょw」とか高をくくって直前になると「いやぁ~前もってやっておけばよかったよぉ~」と後悔するタイプです。質についても「出さない神レポより、出すクソレポ!」とか言って、質には言及しないけど出したという事実を重視するのであんま問題意識を持っていません。てか大抵後悔をしたとしても後に生かした経験はあんまないと思います。

こんな感じで分類しましたが、私はこのブログに関しては夜の23時代に出している記事は大体「追い込み」です。思ったことを垂れ流しのように書いて、特に見直したり「ここの言い方まずかったな…」と反省をすることもなく適当に書いているだけなので、質などよくもないし…けど、とりあえず連続投稿できているからえらいんだ!ということを誇りに持ちつつ今日も書いています。

ちなみに、周りの人間は「追込」>「逃げ」>「差し」>「先行」のイメージです。他の人はどうなんですかね。

生産性がない

ここまで書いていても何なんですが、こんなに新奇性もなく生産性のない文章を書いたなぁと誇らしげに思ったり思わなかったりしています。

なぜこんな文章を書いているかというと、「毎日投稿しないといけない」という義務感があるから、いや、実質的に「23:59までに文章を書かないといけない」という締め切りが存在しているからです。やっぱり締め切りは悪い文化ですね。

本日はここまで。お読みいただきありがとうございました。