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#50 『50』

ついにこのブログの通常回(※月曜ではない日)も50回を迎えました。たまに「いいね」をもらっているのがちょびっと原動力となって頑張れます。

今回は、50回を記念して「50」という数字についてのイメージだとかを書いていこうかなぁと思います。

「半分」

一番先に思いつくのは「半分」というイメージです。いわゆる「50%」から連想される数字です。半分と言うとどんな印象を受けるかと言うと、気持ち少ないなぁという印象です。例えば、100点満点のテストで50点をとりました!って人を見ると平均が大体60なので比較的低い印象を受けます。また、大学の単位は基本的に60点がないと単位認定されないので50は落第みたいな負の印象を受けるわけです。

ただ、確率的には割と高い印象があります。ソシャゲのガチャで50%というとクッソ高いです。もう実質確定じゃん、とか友人が言っていました。現実の世界で言う確率ってのは、めちゃくちゃ小さいです。なぜなら、選択肢が無数にあるから。はい、いいえのみでは言い切れない数多の可能性があるので割と確率は低めに見がちです。だから、結構高めの印象があります。

しかし、ソシャゲで言えば50ってめっちゃ低いって言っていることもあります。例えば最近発売されたポケモンの命中率を50とすると「当たらねえじゃん」とか気持ちでは思います。まぁ、確率なんて思いようです。

「平等」

中立という言葉も近いと思います。どっちを選ぶのよ!ってときに「ごぶごぶかなぁ」みたいな、まどろんだというか、どっちつかずみたいな印象です。ただ、どちらにも加担しない、100でも0でもないのである意味平等という意味があると思います。

「2つめの壁」

50に対する印象の2つめとしては「2つめの壁」という印象があります。個人的に数字の節目を数えるときに10の次に50が来る印象があります。実際、このブログでも10回目ではカウントしていませんが、大きな節目として50に対して名付けています。まぁ、いわゆる「ハーフアニバーサリー」ってやつですね。

正直、私は飽き性なのは前からつくづく知っていたのでここまで続くとはめっきり思っていませんでした。ここで、大きな節目を迎えられたことに個人的に感動しています。まぁ、今日もそうなんですけどあまり中身のないことを書いているのでカウントとして受けいられるものであるか、という中身に対する妥当性を疑う場面がつくづくありましたが。

なんやかんやで

今日働いている時にずっと考えていたのですが、50に対する印象ってそんなものかなぁ…と思っています。あまり面白くなかったですね。

そんなブログですが、たまにちゃんと含蓄のあるネタを書いたり書かなかったりします。これからも応援していただけると助かります。あなたのいいねが、割と私のnoteライフの原動力となっています。マジです。

お読みいだたきありがとうございました。また明日。