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#61 物語をなぜ作りたがる?

最近、コロちゃんの変異種が日本に入ってきたとか、入っていないいう話が連日報道されていて、その中の話で「コロちゃんも、感染力を強める代償として毒性を弱めたのはなんか世知辛いわね~」みたいな話を聞きます。
その時「いや、変異ってそんなものなのか?」って思ったわけです。果たしてゲームのパラメーターを振り分けるように、「感染力がワクチンのおかげで下がっちゃったから、もっと感染力を高めなきゃ!」みたいに思って、行動に移すことが果たしてウイルスにできるのか、という疑問があるんです。

なんかこういう偶発性だと思われる事象に対して、何かしらの人間的解釈を勝手に入れて、物語を作り出すという行為が他にも行われています。果たして、それって良いことなんだろうか?ってたまに思うのです。今回は、そのことについて書こうと思います。

死は悪いことなのか

こういう「物語をつけたがる」ことに対して、一番もやもやすることとしては、果たして「死は悪いのか」という話です。前持って言っておきますけど、特定の団体に対して批評を通り越して非難しようだとかそういう意図はないです。

「死ぬ」と言うことについては様々な議論が過去にされてきました。けれど、今でも「死ぬ」ということは果たして私たちの精神に対してどのような感覚を与えてくれるのか、と言う一般的な答えは未だにわかっていません。そういう答えのないものについては、私たちは恐怖するのです。子どもが「俺死んだらどおうなっちゃうんだろ…」と思いついたら怖くて寝れなくなっちゃう、みたいな経験です。

人はそれにたいして物語を作り出しました。例えば日本だと、三途の川を渡って閻魔様に審判をしてもらうだとか、仏教だと輪廻転生を超えて極楽浄土に行くだとか。死ぬことについても意味は宗教とかが作り出した物語を基に答えを提示してくれることで私たちは未知の恐怖を解釈して生きようとしたのです。

この物語の中には、大体に共通することがあって「生きることは良いことだ」って話がよくあると思います。(生きていることに加えて、善業をすることで「よいひと」になれるって話もありますけど)その裏返しとして「死ぬことは悪いことだ」って話があります。果たして本当か?と思うのです。死ぬことはよいことではないのか?とちょと思ったりするのですが果たしてどうなんですかね。

例えば、動物が死ぬということは「かわいそう!」って大体の人が思うんですけど、それは「死ぬことが悪いこと、かわいそうなだから」って前提があると思うのです。逆に、「死ねてよかったね!」って言うと大体サイコパスのレッテルを貼られがちなんですけど果たしてそのように非難することは正しいことなのか、とちょっと思わなくもない。
少なくとも日本だと死ぬことはかわいそうな事なので、変なことをすると不謹慎と言われるのですが、海外だと棺桶ダンスだとかあるように楽しく埋葬しようみたいな文化もあるそうなのです。
いやぁ、世界によって解釈が違うって面白いと思うんですけどね。


分からないならわからないで良くね

こんな感じで、誰も経験者がいない、わからない未知のものに対して物語を作り出すことで答えがわかって安心する反面、人々を分断してしまうことになりかねない。今回は死ぬについて長々と書いてきたわけですが、他にも様々な事について言えると思います。コロナのことだって、ウイルスが人間のように思考するだとか、動物に対して人間が作った感情を持ち込むだとか。

様々なランダムなことや、未だに因果関係についてわかっていないことに対して物語を作り出すことは、人々のコミュニケーションを促進させたり、答えを与えることで安心できるという効用はあるわけですが、正直個人的には「わからないならわからない」くらいの気概でいることが良いような気がします。そうすれば、変に滅入ることもないし、まぁ答えが分からないし気楽にしよっか、みたいに思うことができると思うのです。白黒はっきりつけたい気持ちはわかりますけど、まぁ適当に暮らしましょう。

参考文献:
『新型コロナウイルスの変異の仕組みや「置き換わる」とは?』(2021/7/30)
https://www.medius.co.jp/asourcenavi/new_coronavirus_variant/