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#49 季節の変わり目を楽しみたい

昨日、中居正広のニュースな会っていう番組を見てたら「今日からいける!紅葉特集!」みたいなのをやってました。今日から行けるって一体誰に向かって言ってるんだ、という都会ハラスメントみのある発言はさておき。

特に気になったのは、劇団ひとりさんが「紅葉を楽しめる大人になりたい」みたいなことを仰っていたことです。確かに、桜だとか紅葉だとか季節の変わり目を楽しむことって今までしてことなかったよなぁと思いながらそのテレビを見ていたわけです。

季節の変わり目は一番自然が感じさせる

「季節の変わり目」ってみんなが言いますけど一体何が根拠なのでしょうか。暦的な話?流行の流れ的な話?いやいや、一番感じさせるのは自然だと思います。暦だって自然の動きに合わせた決め方ですし、人の動きだって衣替えが代表させるように寒さを感じたら帰る、みたいに人って自然の動きをもとにして動いています。だから、当然といえば当然なんですけど、季節の変わり目って自然が一番感じさせるんですよね。

しかも、日本には四季があるってよく言うんですけど、海外とかだとどうなんですかね?ずっと夏だとか、ずっと冬だとかの地域はあるでしょうが、大抵の地域っていわゆる夏と冬があると思うのです。地理でやってたことを思い出すと、大体の国の気温グラフを見ると山なりになっている。となると、世界的にも気温差があるのに「日本には四季がある!」みたいなことを言っているのを見るとなんか「う~ん?」という気がするのです。いや地理の専門家ではないので厳密な話ではないんですけど。

じゃあ春とか秋ってどうやって決めたんですかね?っていう話になるわけです。

春と秋は桜と椛によって決められる?

季節を決める要素っていろいろあると思うんですけど、普通の人が「春」と「秋」って何を思い浮かぶのかなぁって考えると多くの人が「桜」とか「椛」って答えると思うのです。野菜とか果物の旬って季節によってなんとなく山とかはありますけど、あれはいろいろかき集めたものだし、服装だってどっちともつかないし。

文化とは人々が共通して思っていることから作られるので、春は桜の咲く着節、秋は椛が咲く季節と言ってもいいような気がします。だからこそ、秋とか春を楽しむってなった時にこれらは欠かせないのではないか、と思うのです。もちろん、秋とかだと食欲だとか読書だとかありますけど。

自然を感じたい

自然を感じるというと、外で遊ぶとか言うように子どもっぽい反面、景色を眺めるという側面では大人っぽい行為だと思います。私たちどっちつかずの境界人として生きている存在としては、自然を感じるのって忘れがちです。自然を眺める価値というのは完全には大人にならないとわからないにしろ、自分なりの、若造の解釈を入れて大人ぶってみようかなぁとちょっと思いました。

ちなみに、私は春と秋を何で感じるかって言うと鼻で感じます。いっつも鼻が悪いんですけど、花粉が舞いまくっている春と秋は本当にしんどい。花粉症を直す薬、お待ちしております。