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【全員向け】慶應義塾幼稚舎、慶應義塾横浜初等部の「全社会の先導者を目指す」の根拠(これは福澤の演説に基づく)

いつもお世話になっております。

どうも、一部の方は私が願書を書いていることにえらく批判的のようですが、それならば慶応義塾が目指す「全社会の先導者を目指す」という理念がどこから来ているのかご存じなのでしょうか?

慶應義塾のホームページには以下のように書かれています。

『慶應義塾の目的
「気品の泉源、智徳の模範」
・・・以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり”

福澤諭吉は学問を修める過程で、「智徳」とともに「気品」を重視し、社会の先導者にふさわしい人格形成を志しました。福澤が門下生たちにその志を託した「慶應義塾の目的」と呼ばれる一文があります。

「慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言ふのみにあらず、躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」

これは慶應義塾の真に目的とするところを最も簡明に言い表した一文として知られています。』

慶應義塾本体は「最も簡明に言い表した一文」と書いていますが、正確に言えば、それは誤りです。一般人にわかりやすく簡略化してのせており、本来はもっと長い文章となっています。

上記の文章は、福澤が慶応義塾旧友会において行った演説に基づくものです。なお、この演説は明治29年(1896年)11月3日付「時事新報」に掲載されています。

正確には、福澤はこのように述べています。

「・・・(めっちゃ長い。最後の締めの文章がこれです)・・・老生の本意はこの慶應義塾を単に一処の学塾として甘んずるを得ず。その目的は我日
本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言うのみに非ず、躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを期する者なれば、今日この席の好機会に恰も遺言の如くにして之を諸君に嘱託するものなり。

これが正確な表現なのですが、慶應義塾としては「これだと、現代のバカな一般人には読みにくいだろうなー。少し簡略化して読みやすくしてホームページに載せよう」ということで、ホームページに載せている文章は短く、簡略化されています。

この演説は、願書のキーワードになる文言が山のように含まれています。

「気品の泉源、智徳の模範たらん」
「全社会の先導者たらんことを期する」

この当たりの文言は、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾横浜初等部の説明会でもよく用いられます。願書で使われる方も多いと思います。

しかし、その文言がどこから来たのかについて、普通のご家庭はご存じないでしょう。説明会で聞いたままこれらの文言を使い、その背景についてはまるで理解していない。

私の書く願書と、深みが全く違うということです。

はっきり申し上げて、私は頭の悪い人間が一番嫌いです。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾横浜初等部を目指すのであれば、最低限、この程度の知識はもっておいて欲しいと思います。


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