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わたしのにっき📖

私の友達で、同級生に対して「偉い」って言葉を使う子がいる。いや別にいいし、逆に自分小さって思っちゃうから嫌なんだけど、ちょっとムカつく。自然に「○○は〜〜して、〜〜だから偉いよなぁ」って言うんだけど、いつもその言い方にん?ってなってしまう自分がいる。
親とか先生とか先輩とか、目上の人に言われるのは嬉しいしきゃーってなるけど、いや君に偉いって思われても。というか偉いって言葉かけられる相手なん君?同級生って、例えば部長とか、リーダーとか役割が別だったり、能力差とかあったとしても、みんな対等だと思うから、その対等な相手に偉いって言われるのが嫌。私は偉いって言葉の中に下に見てる感が含まれる気がしちゃってるんだろうな。めっちゃ年功序列厨みたい。

最近、海外の人のアニメ同時視聴動画?にハマってて(チェンソーマン観るニコラスニキ)海超えて国境超えて同じアニメを観て、文化が違うくてもアニメの凄さに語彙失う感じ、日本人と全く変わらなくてオタクって好き()ってなった。


自分のことについて2000字で書く課題があった。この19年の間に、人生で1番辛い日を迎えてるから(比べるものではいからはっきりとは言わないが、4回あるうちの1回)マインド重視で私のことについて書くと、結構えぐい内容になってしまった。課題だから丁寧に書こうとしてたわけだけど、noteレベルの殴り書きで出したかった、ていうかそれくらいの書き方で出しても良かったかもと思ってる。丁寧になぞって説明するものではなかったかも。というか、まず構成変えれば良かったかも。あと、振り返ってたら虚しくなった。


自分が結構しんどい時に、初めはみんな大丈夫?え、話聞くよ!私の事頼って!みたいなモードで絡んでくるけど、しんどい時期が長かったら心配するのも疲れてくるからあっさりしてくるじゃん。というか、ああ、まだそんな感じなのねって見てくるの。なら初めから過剰な大丈夫?反応やめてほしい。そりゃこっちがしんどいですってヘルプを出してるなら分かるけど、別にほっといてくれ〜レベルの悩み事の時の方が多いのに、勝手に絡んでくるのそっちじゃないですか。で、結構引きずってたらちょっと冷めた目で見るじゃないですか?それが一番辛いんですよね。結局どんな問題でも最終的に自分が乗り越えないといけないんだから、そっとしておいて欲しい。支えてくれるなら最後までウザって思うくらい支えてくれ。
という、ダルい人間のお話。


先輩に誘われて舞台のお手伝いに行った。その舞台の観劇もさせて貰えたんだけど、原作読んでいけばよかった。
泉鏡花の「高野聖」が題材の舞台だったんだけど、演出は極力セリフを減らして、動きで魅せるというもの。このシーンはあの場面だなとか分かったらもっと面白かっただろうにーーと後悔。
というわけで観劇の目をお客さんの目から学びの目にシフト。思い出しながら原作を読んで余韻に浸ろうと思う。
これは座組の方から教えていただいたものだけど、役者は耳にイヤホンを付けていて、ずっとビートを流していたらしい。その音がきっかけで動いたり、音響照明を合わしたりしていたらしい。
役者はビートに合わせて決められた大きな動きで、結構早い間隔で動き続けるんだけど、でも時間ははゆっくり流れているような感じで不思議な感覚だった。舞台は結構暗いんだけど、顔は白塗りされていて、表情がくっきりみえるから、表情管理についても学べた。
もうひとつ、めちゃくちゃ凄かったし、私もやってみたいと思ったのが、パーカッションによる生演奏の音響。音で観せる舞台って感じで、楽しかった。音って、スピーカーの位置とかそういうのも関係するかもだけど、ずしっと胸に降りてくる感じがして、一体感…?舞台と続いてる客席って感じで好き。
すごく楽しかった。原作も買ったし、読みます。



母性を観てきた。これについては今度絶対noteに書くから読んでください。(誰とは言わないけど)こっちも原作を読まずに行ったんだけど、一緒に観た友達と、母性観る前にお母さんや家族とのエピソードを喋って、というか愚痴ってに近いかな。してから観たから、ちょっとタイムリーすぎて号泣。苦しかった。
誰も、何も、悪くない。(言い過ぎだけど)じゃあどうしたら良かったんだろう。悩んだ。今考えてる。こちらも原作買ったから、読んでからnoteで消化したい。観てよかった。


Twitterに呟くのってなんかカマチョかんあって嫌だけどnoteならいいやって感じがする。結局やってることは何も変わってないけど。

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