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クリープハイプのニューアルバムが、すごいラブレターだった話

 12月8日にリリースされたクリープハイプのニューアルバム「夜にしがみついて、朝で溶かして」は、前作「泣きたくなるほど嬉しい日々に」をリリースしてから、彼らがどんな風に音楽と向き合って曲を作り、どんな実験的な試みをし、これから先どういうスタンスで音楽を作っていくのか、ということをふんだんに詰め込んだアルバムだなと感じた。
そして、それと同時に、いや、もしかしたら何よりも、これはリスナーへの熱烈なラブレターだな、と感じた。

 この企画がスタートした時、尾崎くんは「ただ、言葉をください。音というとても不確定なものに、このアルバムに、言葉をください。」と言いました。
そして、ものすごい情報量の詰まった15曲を前に圧倒されてしまって、このアルバムをどう咀嚼して己の養分にすればいいのか考えあぐねていたわたしは、こう思いました。「おっけー、何が何でも、下手くそでも、不格好でも、絶対に記事一本書き上げてやる」
これは、アルバムの感想文という皮を被った、わたしからクリープハイプへの(圧の強い)アンサーラブレターです。

 なお、ラブレターを綴るにあたり、あまり記事然としたお行儀のよい感じは何かちょっと違うなと感じたので、ここではメンバー4人のことを「尾崎くん、カオさん、ユキチカさん、拓さん」とお呼びする無礼をお許しください。

1.料理

 「ああ、かえってきたなあ」と思う。とてもクリープハイプらしい。食事の時、必ず最初にお箸をつける、なじんだ味のお味噌汁って感じの安心感と同時に、「さあ、今日のごはんはどんなかな~?」に準ずるようなワクワク感がある。
 夫婦になると、またはカップルとして長い時間を一緒に過ごすと、色んなことを許容できるようになってくる。でもそれは同時に、曖昧になってくるということでもあると思う。例えば、結構ガチで喧嘩しても、「まあ、こういうもんか」「まあ、いつものことか」みたいな感じで済ませられるようになったりして。
その、いいんだか悪いんだかよく分からない二人の関係を、一度解体して再構築して表現したのが、この「料理」という曲だ。「残さずに全部食べてやる」「そばにいてくれたら それで腹が膨れる」「二人の味付け 涙はしょっぱい」というフレーズには、幸せも疑問も何もかもを丸め込んだような強引さを感じる。
 男女の関係性はキレイごとだけじゃない。ところどころ印象的に鳴るカウベルやハイハットの音は、調理器具が触れ合う音や、ガスコンロを点火する「チチチチ」という音に聞こえて、生活感を醸し出す。一方で、ギターやベースはドラマチックにうねっていて、そのアンバランスで細やかなアレンジも、絶妙なアクセントになっている。まさにオープニングチューンとしてふさわしい一曲だ。

2.ポリコ

 今作のラインナップの中でも、ひときわカオさんのベースが大暴れしているこの曲。そのフレーズは、普段いろいろなことを思考してうねうねしているわたしの心情に重なるように感じられて、とても心地よい。ところがどっこい、歌詞を読んでみると、そんな心地よさに身を任せてぷかぷかしているだけでは到底咀嚼しきれない内容だったので、ブレストよろしく思考してみたことをここに書いておこうと思う。

 世界は平和であるのがいい。誰一人傷つくことなく、皆が笑顔で日々を過ごすために、お互い配慮しましょうね。うん、そう、それは正しいのだけど、それを盾に何でもかんでも同じ枠の中に収めようとするのはどうなんだ?どうしてもはみ出してしまう人はどうすればいいんだろうか。
 わたしは、いつだって「正しさ」というものに絡めとられてうねうねしている気がする。わたしにとっての正しさとは?あの子にとっての正しさとは?その正しさは誰かを傷つけたり抑圧したししてやしないか?そして何より、わたし自身が誰かの正しさに圧縮されたりしていないか?という具合に。
 一方で、感情に任せて暴言を吐きたい衝動に駆られることだってもちろんある。言ってしまえばすっきりはするけれど、それが誰かを刺すことでもあると自覚すると、途端にどうしたらいいかわからずにおろおろしてしまったりして。
 「ポリコ」は誰の中にも潜んでいる。どちらかだけに自分を当てはめてうねうねおろおろしている時点で、わたしもポリコに絡めとられてしまっているのかもしれない。

3.二人の間

 ダイアンへの提供楽曲のセルフカバー。イントロからずっと鳴り続けているユキチカさんのギターはゴリゴリに歪んでいるのに、なぜか絶妙にポップでかわいらしくてとても愛おしい曲。
 長くコンビで活動している芸人さんは、だいたい夫婦のような空気感を纏うと思っている。ダイアンの2人もそう。過ごした時間の長さや濃密さはお互いの理解や信頼感へ繋がり、独特の「間」を生み出していく。
ダイアンの二人も中学時代の同級生で、そのまま二人で養成所に入りコンビを組んだ。芸人になる以前から培われた人間関係をベースとなっているからか、漫才だけでなくラジオのトークやロケVTRなんかでも、見事な阿吽の呼吸を見せてくれる…という野暮な説明を全部取っ払って、音とニュアンスを最大限に駆使して表現したのがこの曲。そのとんでもない表現力を前に、思わず天を仰いでしまう。
 そして、相槌ひとつ取っても、どこかしらに特徴が滲み出てくるのがコンビの会話と言うものだ。「違う違う は え 何が どういうこと だから」は、音で聞いても文字で見ても、「ああ、ダイアンだなあ」と感じる名フレーズで、思わずにんまりした。
 最後に、当初「二人の間」というタイトルを「ふたりのあいだ」と読んでいたので「ふたりのあいだ・・・?ダイアンへの提供曲・・・?サンパチマイクの曲か・・・?」と思って歌詞を読んでみたら全然違うかったという、どうでもいい笑い話を添えておきますね。

4.四季

 シンプルで力強い四つ打ちのビートと、爽やかに薫るギターのストローク。MVのおかげもあって、ゆるーく自転車を漕いでいるシーンが容易に想像できる。
 「年中無休で生きてるから疲れるけどしょうがねー」に救われた人もきっと多いと思う。めちゃくちゃ頑張って日常を生きて、時々こっぴどく失敗して、ぼけーっと自転車を漕ぐ帰り道が、春と夏のパート。
悶々と考えてたらそのうちどうでもよくなって、「あーもうどうでもええわーい!!」ってなって、特に意味もなく坂でもないのに立ち漕ぎし出しちゃうのが、テンポの変わった秋と冬のパート。
人生って「めちゃくちゃハッピー!」な時はあんまりなくて、割と平坦な日々と、うわあしんど!な日々の繰り返し。いい大人だって時々思いっきり自転車立ち漕ぎしたり、意味なく側転したりしたくなる時がある。でもさ、年中無休で生きてるから疲れるんだよな。しょうがねーよな。
 クリープハイプの好きなところの一つは、どうしようもない事を掬い上げて「そういうことあるよな、でもなんとかやっていこうな」って寄り添ってくれるところなのだけど、この曲はまさにそんな一曲。いつもそばにいてくれてありがとう。

5.愛す

 ループするガットギターの柔らかい口当たりや、少し控えめな主張で差し込まれるホーンの音色や、淡々と、でも優しく刻まれるドラムのビートは、わたしが音楽に興味を持ち始めた小学生時代(90年代)によく聞いていたそれにかなり近く、とても懐かしくなった。
クリープハイプといえばギターロック!そう思っていたし、あらゆる媒体の紹介文にもそう書かれているから、それまで疑いもしなかったけれど、所謂ギターロック然としたサウンドを奏でずともなお、クリープハイプはクリープハイプなんだなと感じて驚いた。
 このポップで、ちょっとアンニュイでメロウな曲に「ブス」という底抜けに強い単語を乗せてくるのも、尾崎くんならではだなと思う。「ブス」は言葉の意味としても発音としてもとても強い言葉だけれど、それに「愛す」という文字を充てる発想力。そして何より、相当気を付けて発音しないと、ただただキツく聞こえてしまう「B」の音を極限まで柔らかく発音するその歌い方も。すべてが綿密に作り込まれていることが感じられて、何度も繰り返し聞きたくなる曲だ。
 もう一つ。カオさんの声のピッチをいじると、尾崎くんの声にかなり近くなるということに気づいたのも、この曲のおかげ。なんだこの二人こんなにも声質が近かったのか!どーりでコーラスが気持ちい訳です。

6.しょうもな

 言葉っていうのは、人間にとってとても便利なツールであり、武器であるが、その反面とても曖昧なものでもある。
ところ変われば言葉の意味も変わるし、イントネーション一つで全く違うものを指したりもするし。ていうか何なら同じ言葉でも違うフレーズに乗せただけで、全くニュアンスが変わってしまうんだからな。
 人に何かを伝えたいと思ったとき、意図を細かく分解して、できるだけ言葉を尽くした方が伝わると思いきや、意外と剛速球でぶん投げてしまった方がすんなり伝わる、なんてこともよくある話だ。だからこそ、尾崎くんは「言葉はもはや信用してない」と言うのかもしれない。
 言葉遊びや言い回しの技巧、比喩の絶妙さは尾崎くんの持ち味であるが、深堀りして裏を返してみると、「そんな小手先の技術では伝わらないことがある」という経験に打ちひしがれた彼が、「言葉に追いつかれないスピードでほんとしょうもないただの音で あたしは世間じゃなくてお前にお前だけに用があるんだよ」という剛速球を叩き出した、というような事もあったのかもしれないなと思う。
 その剛速球、しかと受け取りましたよ。わたしのキャッチャーミットからは煙が上がっています。

7.一生に一度愛してるよ

 演奏の全体的な構成みたいなものは、いつも通りのクリープハイプを感じさせながら、どういうオノマトペで表現したらいいかわからないけれど、「うよよ~~」みたいなギターのエフェクトや、イントロの拓さん、ユキチカさん、カオさんの「わんつーすりー」というカウントがとてもポップでキュートな曲。
 個人的には、この曲が今作の中で最も、リスナーに向けての愛を叫んだ曲だと感じた…ということを書きながら今思ったんですけど、この曲がアルバムのドセンに来たってことは…「世界の中心で愛を叫ぶ」ってことですか…?いや、まさかね…。
 尾崎くんは、最近殊に「お客さんは恋人みたいなものだと思ってる」と言ってくれる。リスナー冥利に尽きる言葉だ。けれど、人間関係の種類の中でも、恋人というのは特に緊張感のある関係だと思う。家族や兄弟ほど甘えがなく、友達のようなある種のぬるさもなく、どちらかが「あ、もうダメだな」と思ったら即切れてしまうものだからだ。
いつだって音楽に対して真面目で真摯で妥協のない彼らが、わたしたちを「恋人」だと言ってくれるなら、わたしたちもそれに応えられるようにいつだって真摯に向き合っていきたい。
死ぬまで一生タイマン上等!これからも超速の右ストレート、お待ちしてますね。

8.ニガツノナミダ

 これはもう本当に勝手な想像なのだけれど、クリープハイプが何らかのタイアップやコラボレーション企画をやるとき、「納得できない案件は絶対に受けないんだろうな」と思う。それは別に選り好みしているというわけではなくて、「これは何か違うな?」と思ったら、「自分たちはこういう風にならできます」「ここはこうしたいんですけどどうですか?」というコミュニケーションを充分にとって、お互いが納得したらご一緒しましょう、みたいな空気感を感じるのだ。
そういう信頼感がちゃんと出来上がっているからこそ、歌詞の中に「30秒真面目に生きたから 残りの余生は楽しみたい」とか「あいつ魂売りやがったって 使い放題だから安心だ」みたいな、依頼主がみたらぎょっとするようなフレーズも入れ込めるんだろう。

 さて、この曲を聴いて思い出した言葉がある。

規範の中にいるときは、それを窮屈と感じるけど、規範なき行為はまた行為として成立しない。結局堂々巡り。
                             -草薙素子

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society より
 

わたしが人生のバイブルとしているアニメの劇中で、主人公がつぶやいたセリフだ。
わたしはこのセリフが、「締切に抱きしめられて 制約にくるまって眠る それはそれで悪くないから ここはここ」という歌詞と、なんとなく対になるような気がしている。
ある制約の中で何かを為すとき、どうしてもそれが邪魔になることがある。その制約を逸脱してしまえば、そもそも成立しない事柄も、この世の中には山ほどある。けれど、制約の中で最大限に遊ぶ、制約のギリギリを攻める、という戦略をとった結果できたのが、この「ニガツノナミダ」なのかなあと、ぼんやり思った。

9.ナイトオンザプラネット

 わたしのSpotifyのプレイリストに「5%の系譜」というプレイリストがあり、このリストには3曲しかリストインされていない。その3曲というのが、2016年のアルバム「世界観」に収録された「5%」と、「愛す」、そして「ナイトオンザプラネット」だ。曲のテンポや雰囲気が似ているというのもあるし、どの曲も、4人がもともと担っていた役割から、少し外れたところにいるというところから、このリストを作成するに至った。
 この曲において、拓さんのドラムは、いつものような「粋な感じでこっそり手数が多い」というものよりは、どちらかというと淡々とリズムを刻んでいる。ユキチカさんのギターの音色もいつものような歪んだ音じゃなくて、やさしく、丸いワウが印象的。尾崎くんもギターを弾かずにボーカルに専念しているし、しかもラップまで披露している!カオさんに至っては、ステージ上じゃベースを弾かずにピアノを弾いている(これは5%もそうだけど)。
わたしはずっと、尾崎くんの言う「バンドで音を出して、埋まりすぎてしまうのが嫌だった、違和感があった」という趣旨の事が理解できずにいたのだけれど、このアルバムを聴いて、なんとなく理解し始めたような気がしている。
 ナイトオンザプラネットのアレンジは、「余白」がとても大きな仕事をしている。これまでのアレンジであれば、ボーカル+ギター(フレーズ)+バッキングギター+ベース+ドラムのそれぞれの音が一斉に鳴っていて厚みがあったところを、休符を多く入れたり、それぞれのパートをシンプルにして余白を作ることで、尾崎くんのボーカルが、子音のひっかかりまではっきりと聞こえるほど粒立っている。
 クリープハイプは、「圧倒的な歌唱力で聴かせる」というバンドではない。どちらかというと、微妙なニュアンスを、発音や子音の引っ掛かり方の強弱や、発声の仕方で表現するタイプのバンドだ。だからこそ、「音が埋まりすぎていること」が違和感として感じられたのだろうし、余白を持たせたアレンジという概念がメンバーに齎された結果、今作のようないろいろなテイストの曲が生まれるに至ったのだと思う。
 ちなみに、カオさんの言う「休符で曲を動かす」という概念についても、長らく咀嚼できずにうんうん唸っていたのだけれど、2コーラス目のラップパートの「それでちょっと思い出しただけ」の部分が休符から入っていることで独特のひっかかりが生まれていることに気づき、「ああ、こういうことか…!」となるなどもした。
 音楽を言語化することはすごくしんどいし疲れるけど、とても楽しいし勉強にもなる。それを身をもって感じることができているのは、ひとえにこういった細やかに目論まれたアレンジや演奏、丁寧に書き込まれたメロディーや歌詞のおかげなのであります、先生。

10.しらす

 誤解を恐れずに、感じたままを言うと、「変な曲だな」と思った。聴くたびに、印象や解釈がその都度その都度コロコロ変わっていってしまって、ちっとも纏まらないからだ。
 色々なインタビューで、カオさんはこの曲について「うつ状態になってしまった友人への励ましをきっかけに書いた」と言っていた。その通り、「ほかの生き物の命をもらって生きているのだから、笑って生きてみようよ」と言われているようにも聞こえるし、おばあちゃんが孫に語って聞かせる昔話のようにも聞こえ、はたまた、自分の余命を自覚した誰かが詠んだ、辞世の歌のようにも聞こえる。この多種多様な解釈ができる幅広の余白は、この曲の不思議な吸引力の一つであると思う。
 「カオナシを開放したらこうなった」というようなことを尾崎くんがところどころで語っているけれど、解放されたカオナシ節はあちこちに詰め込まれていて、耳が離せない。
浮遊感のあるシンセの音に重なる鉦の音や鈴の音に彼岸を感じ、ふわふわした猫の足に対して「おいしそう」と表現してしまうある種の残酷さに慄き、尾崎くんが歌うBメロの部分からは、何か得体の知れない、別の次元からの存在を感じ…という具合に。
 こうやって文字に起こすと、何だか難解なことを言っているように見えるけれど、歌詞に使われている言葉自体は、ちいさな子供にもわかるような易しい言葉ばかりだ。
分かりやすい言葉で、わかりやすいフレーズで、小さな子供でもすぐ覚えて歌えるし、長く記憶に残る。でもその実、歌詞の内容はとても深くて、「あれはどういう意味なんだろう?」と考え続けてしまうこの曲とは、長い付き合いになりそうだ。

11.なんか出てきちゃってる

 「え?これ?クリープハイプの曲?」となったのがこの曲。
歌詞カードに歌詞らしい歌詞は掲載されておらず、尾崎くんのハスキーボイスで紡がれる語りが独特の倦怠感を醸し出す。ちょっとハウスっぽいキック音とベースのフレーズにサイケデリックなギターとシンセの音色が加わって、強い眩暈を覚える。これまでのクリープハイプとは明らかに違う。
 伝わるかどうかわからないのだけれど、この曲を聴いてぱっと浮かんだイメージは、「ウルトラQ」のオープニングでタイトルが出るときのあのぐるぐる~というシーンと、実写版のブラックジャックのエンディングで使われている、絵の具がだらーーーっと垂れてくるあのシーンだった。
どちらも子供のころに見た時、怖くてテレビの前で竦んでしまったけれど、今でも強烈に印象に残っていて、かつなぜか時々見たいと思ってしまうビジュアルだ。
 ユキチカさんのアイディアで転がったというこの曲。これまで作曲者としてクレジットされることはなかったけれど、プレイヤーとしてだけではなく、作曲者としての可能性を提示するには十分すぎるほどのインパクトを残した。
 怖い、なんか気持ち悪い、見たくない、思わず目を覆ってしまう。でも、ちょっとだけ…と思って指の間から覗いてみたら、緩んだネジの間から垂れてきたそれを見てしまった。ああ、もう、もどれないね。

12.キケンナアソビ

 イントロの大正琴からして「みだらだな」と思った。大正琴ってこんなに卑猥な音色だったの、知らなかった。
 物語の中の二人がどういう経緯で「そういう」関係になったのかはわからないけれど、どこまで行っても交差しない、平行線のままの二人。多分だけど、女の子のほうは誰にもこの関係の事を口外していないんだろうな。なんとなくの、想像だけど。
何度「もういい、別れる」となってさよならを口にしても諦められなくて、意味ないって分かっていても、体だけでも繋がっていたくて、悔しくて情けなくて、でもずるずると関係が続いて心身ともにボロボロになって。挙句の果てに彼女はお腹に小さな命を宿し…みたいな、恐ろしい展開が浮かんで頭から離れない。
 この曲は、こわい。歌詞の内容もだし、アレンジや音色もこわい。なによりも一番こわいとおもったのは、カオさんのコーラスだ。
「これからも末永くお幸せに」の「お幸せに」のところ、1コーラス目はメロディに対して高いコーラスだったに、2コーラス目は低い方のコーラスが入っていて、飛び上がるほど怖かった。
 この曲がバラエティ番組のエンディング曲だったということが、いまだに信じられないでいる。

13.モノマネ

 昨年10月に公開された劇場アニメ「どうにかなる日々」の主題歌として書き下ろされたこの曲。わたしも劇場で映画を観たのだけれど、すっかり気に入ってしまって、映画を見た帰りに吸い寄せられるように特装版のパンフレットを買って帰った。
この映画のコンセプトは「今はもう身の回りからいなくなってしまったけれど、かつて近くにいた誰かを思い出す話」だったそうだが、このアルバムについても、「不在であるが故の存在感の強さ」を裏テーマとして挙げてもおかしくないのではないかと思っている。
この曲の歌詞は、かつて付き合っていた恋人への想いを綴ったものになっているが、他にも、M4「四季」、M5「愛す」、M9「ナイトオンザプラネット」、そしてこの後に登場するM14「幽霊失格」と、バラバラに曲ができたというのが信じられないほど、一貫して「いま、目の前にいない人」の事を印象的に歌っているからだ。
 歌詞の内容としては、2009年にリリースされた「ボーイズEND ガールズ」の続編という立ち位置で描かれているというけれど、わたしはM1「料理」とも少しリンクするんじゃないかと思っている。「ボーイズEND ガールズ」で、くすぐったくも幸せな時間を過ごしていた二人が、些細なズレを受け入れられずに別れてしまった未来が「モノマネ」。
そして、些細なズレを受け入れつつ、良くも悪くも曖昧においておくことで夫婦になった未来が「料理」。「ある晴れたそんな日の思い出 どこにでもある毎日が 今もどこかで続いてるような 気がして 探して」というフレーズから、余計にこんな深読みがしっくりくるような気がしてしまう。いつか彼女がこの別れを吹っ切って、彼の姿も映画の百合さんのようにフェードアウトしていけたらいいなと願ってやまない。

14.幽霊失格

 「いないけど、いる」という不思議な経験をした曲。
昨年9月、”クリープハイプの幽霊”が新曲を演奏する「幽霊の試聴機」というライブが大阪と東京で行われ、運よくチケットを手にすることができたわたしは、大阪でこの不思議なライブに参加した。
 その日のわたしは、ステージの照明がついた瞬間、あまりの光景に言葉をなくしてボロボロと泣いた。だって、そこには、いないはずのクリープハイプが「いた」から。
ライブの内容は、言葉にしてしまえばなんてことはない、『新曲(当時)である「幽霊失格」に合わせて、ステージ上にセットされた4人の楽器や帽子が小刻みに動くというパフォーマンスだったのだが、それでも彼らの存在を感じるには、十分すぎる仕掛けだった。
 思えばコロナ禍でライブやイベントが根こそぎなくなってしまい、なかなかバンドに会えない日々が続き、それでもライブやイベントを開催しようと、いろいろな試みが始まりかけていた頃。わたしたちリスナーのみならず、エンターテイメントに関わる多くの人が大変なストレスとフラストレーションを抱えていたのが、去年の秋ごろだった。
会いたくて会いたくて毎日泣いていたら、クリープハイプが幽霊になって会いに来てくれた。本気でそう思った。実体を伴わずして、会いたい人に会えるなんてことが、本当に起こるんだと分かって大いに泣いた。
 「いないけど、いる」というこのニュアンスは、曲の中でもあの手この手で表現されている。一番好きなのは、随所に差し込まれる、印象的なピアノの音色だ。1コーラス目で印象的に鳴るトリルで、幽霊の存在を意識させたり、サビ後から2コーラス目にかけてはアルペジオで幽霊が歩いているような印象を持たせたり(幽霊だから足ないけど)と、こんな表現があったのか!と感動してまた泣いた。
 この曲に関してはあまりに泣かされてばかりなので、実際にライブで聴いたときに膝から崩れ落ちたりしないだろうか、ということだけがとても心配です。

15.こんなに悲しいのに腹が鳴る

 ドラマ「八月は夜のバッティングセンターで。」のエンディング曲として書き下ろされたものであり、アルバムの最後を締めくくるにふさわしい一曲だ。
 「愛す」の持つ雰囲気を「90年代のポップス」と言ったけれど、こちらはこちらで、ニューミュージックやAORのテイストが取り入れられていて、クリープハイプの「新しい方のサウンド」を担う一曲になっていると思う。クリープハイプのトレードマークともいえるユキチカさんのギターが絶妙な音程で鳴っているところや、ボーカルにかかるリバーブの深さ、サビで突然現れる印象的なシンセのフレーズ、アウトロがフェードアウトして曲が終わっていくのも、「最終回」を思わせる。クリープハイプの曲の中でこんなに最終回っぽい曲は今までなかったと思う。まさに新境地だ。
 この曲も楽器隊に割と余白があり、尾崎くんのボーカルがさくっと胸に刺さる。
生きることにおいて、食べるということは最も原始的な行為であり、生き物はごはんを食べなきゃ生きていけない。裏返せば、食べないということは生きることそのものを否定しているということだ。簡単なことだし、誰もがわかっていることだけど、日常の中でそれを意識することは殆どない。
けれど、「こんなに悲しいのに腹が鳴る」「どんなに苦しくても腹が減る 生きたい行きたい死ぬほど生きたい」という、これ以上ない程の剛速球な歌詞を、冷静で、それでいてやわらかい歌いまわしで投げられると、受け取ったわたしたちはハッとして、生きるということについて、少し、思考するのだ。
 この曲を最後まで聞くと、歌詞のせいもあって、M1の料理に帰りたくなるという、意図したものか偶然の産物か、不思議な円環構造にはまっていることに気づかされる。
そういう仕掛けも含め、「なんてよくできたアルバムだろう」と感じる今作だ。

ここまでで一万文字を超えていることに、自分でも少々驚きつつ、それだけこのアルバムが言葉を尽くして語りたいほどの作品だったんだなあと改めて感じさせられている。
一万文字のラブレターって、文字にしたらちょっとロマンチックな感じもするけど、どうだったでしょうか。いつも全力で作品を届けてくれる皆様の剛速球、こちらもフルスイングで打ち返したつもりですが、ホームランになったでしょうか。
いつだってわたしの感性を刺激して、あれこれ思考を巡らせるきっかけをくれるクリープハイプが大好きです。人生の師と仰いでいます。これからもバンドの恋人として、緊張感をもってリスナーしていきたいと思います。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。かしこ。

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