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太歳頭上の惑い星

「やめろ……やめろ!」

 悪夢にひどくうなされ、最悪の気分で目を覚ます。午前三時。またか。

 枕元のペットボトルからぬるい水を飲み、洗面所へ向かう。無精髭が伸び、目の下に濃い隈。ひどい顔だ。口をゆすぐと、茶色いものが出た。血や吐瀉物ではない。だ。

 このままでは、まずい。殺されてしまう。

「なるほど。心当たりはありますか? 誰かの恨みを買っているとか、殺したとかは」
「いえ。知らないうちに恨まれているかも知れませんが」
「無差別、ってこともありえますね。よくあることです」

 憑物科の女巫医は、事務的にそう言った。よくあるのか。彼女のうねるような黒髪は長く、フチなしメガネの下の切れ長の目は物憂げに潤んでいて、ぽってりした唇。白衣を持ち上げる大きなバストの下には《張 角端》と書かれた名札が吊り下がっている。俺は思わず鼻の下を伸ばした。

「診察したところ、首筋に蛇のような、かすかなアザがありますね。ですから、飛頭蛮性離魂病の可能性が高いようです。寝ている間に、あなたの首か魂かが肉体を離れ、わるさをする。そういう病気です。吸血などによる伝染性だとすれば、しばらく隔離が必要です。よろしいでしょうか」

「……はい」

「口腔内から採取された土砂は分析に回してますが、どこのものかまでは判別つきかねるかも知れません。ですから、一度あなたの症状と、頭の行き先を確認する必要があります。さっきの睡眠符水は飲んでおられますね?」

「はい」

「じゃあ、そろそろ効いてくる頃です。奥のベッドに横になってください」

 俺は言われるまま、奥の薄暗い部屋へ向かう。深呼吸をする。なんだかよくわからんが、巫医学の進歩は素晴らしい。

「張先生、さっきの患者さんが動き出しました。えーと」
「はいはい。劉 圭徳さんね。今行くわ」

 奥の部屋を開けると、劉の頭部はぶるぶると震え動いていた。やがて首がウナギのように伸びて、壁をすり抜ける。

「追うわよ」

【続く/800字】

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