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【つの版】ユダヤの謎22・三教源流

ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。

656年、カリフ・ウスマーンが不平分子に暗殺されるとアリーが跡を継ぎますが、ウスマーンの一族であるウマイヤ家のムアーウィヤは従わず、シリアで自立してカリフを称しました。661年にアリーが暗殺されると、ムアーウィヤが唯一のカリフとなり、世襲王朝・ウマイヤ朝を開始します。

◆聖戦士◆

◆ムジャヒディン◆

摩栧伐城

ムアーウィヤの兄ヤズィードは、アブー・バクルから初代シリア総督に任命され、640年に彼が病死するとムアーウィヤが跡を継ぎました。ムアーウィヤは軍事にも政治にも有能で、東ローマとの戦いを有利に進めつつシリアに善政を敷き、多くの人々が彼に従いました。655年にはアラブ艦隊を率いて東ローマ艦隊を撃破し、地中海東部を制圧しています。預言者との血縁や敬虔さではアリーに劣ったとしても、君主としての能力は劣りません。

ムアーウィヤと休戦協定を結んだ東ローマ皇帝コンスタンス2世は、西方の統治に注力します。まずバルカン半島南部のスラヴ人を平定して小アジアに移住させ、アテナイを経て南イタリアに上陸し、ランゴバルド族を討伐してローマを訪問しました。さらにシチリアに移動して艦隊を新設し、ウマイヤ朝に対抗しますが、軍の不満を抑えきれず668年に暗殺されました。

後継者のコンスタンティノス4世は、内戦を制したムアーウィヤの攻勢に晒されます。662年から始まった小アジアへの侵攻は669年には帝都対岸のカルケドンに達し、670年にはカルタゴ南部の内陸に前線基地カイラワーンケルアン)が建設され始め、北アフリカ進出の拠点となります。アラブ艦隊はエーゲ海を北上してマルマラ海に達し、キュジコスを拠点としてコンスタンティノポリスを包囲しました。

この包囲は674年から678年に及びましたが、東ローマは「海の火(ギリシア火薬)」を用いてアラブ艦隊に損害を与え、撃退に成功します。ムアーウィヤは征服を諦めず、679年にはロドス島を占領しますが、680年に77歳で崩御しました。この戦争は『旧唐書』西戎列伝拂菻国条にも書かれています。

大食(アラブ)は強盛となり諸国を征服し、大将軍の摩栧(ムアーウィヤ)を使わしてその都城(コンスタンティノポリス)を討伐させた。これによって拂菻は大食と和好を約束し、毎年黄金や絹布を貢納することとなり、ついに大食に臣属した。

大食大乱

イスラム帝国を中央集権化するには、カリフ位の継承を安定させる必要があります。ペルシアや東ローマでも後継者争いがあるとはいえ、その時々の有力者や長老会議で争われては四分五裂しかねません。一応の規準として血統による世襲を持ち込むのは自然な流れです。676年、ムアーウィヤは息子ヤズィードを後継者に指名しますが、血統の高貴さと正統性ではアリーとファーティマの息子フサインに劣り、ヤズィード自身も凡庸な俗物でした。

多くのことに恵まれた預言者ムハンマドでしたが、二人の男子は早くに夭折しており、3人の娘らやその孫もムハンマドより先に死に、父より長生きしたのはアリーに嫁いだ末娘ファーティマだけです。彼女も父の死と同年に亡くなりますが、ハサンとフサインという二人の男子を遺しました。ハサンは669年に逝去し、残ったのはフサインだけです。680年、クーファのアリー派は、当時マッカにいたフサインをカリフに擁立しました。

フサインは僅かな手勢を率いて密かにクーファへ向かいますが、ヤズィードは先手を打って3000の兵を向かわせ、クーファ北方の町カルバラー近郊でフサイン一行を一方的に虐殺します。アリー派(シーア・アリー)は大きな衝撃を受け、フサインを殉教者として讃える一方、ムアーウィヤやヤズィードを不倶戴天の仇敵として恨み続けることになります。またカルバラーの悲劇がヒジュラ暦ムハッラム月の10日(アーシューラー)にあたることから、彼らはこの日を追悼(タアズィーヤ)の日とし、殉教劇が演じられて怒りと恨みを新たにします(祭が始まったのは10世紀以後ともいいますが)。

「シーア」は本来「党派、追随者」を意味し、後に定冠詞をつけた「アッ=シーア」でアリーに従う人々を意味するようになります。日本語でシーア派というと「派派」の意味になり、リバー川とかマウンテン山ぐらいに変ですが、まあ慣用としてそう呼ぶとしましょう。

いかに政治的ライバルとはいえ、預言者ムハンマドの孫とその家族が一方的に虐殺されたこの事件は、非アリー派の人々にもショックを与えました。また政治的中心地がダマスカスやクーファに遷ったため、マッカやマディーナの人々は不満を抱きます。アブドゥッラー・イブン・アッズバイルはこの空気を利用し、マッカを拠点として反ウマイヤ派を集めました。

彼の父ズバイルはムハンマドの最初の妻ハディージャの甥で、母はムハンマドの叔母にあたり、アブー・バクルの娘を娶ってアブドゥッラーを儲けました。最初期にムスリムとなりましたが、晩年はアーイシャ(アブー・バクルの娘でムハンマドの妻)を支援してアリーと対立し、657年に戦死しています。従って反アリー派ですがウマイヤ派でもありません。

ヤズィードは彼を討伐すべく軍を派遣し、ウマイヤ軍はマディーナを陥落させて略奪します。さらにマッカを包囲しますが、この時にカアバ神殿が炎上し、ズバイル派は「これぞヤズィードの悪行だ!」と喧伝します(実際はズバイル派の火の不始末だったようですが)。これを気に病んでかヤズィードはまもなく急死し、マッカを包囲していたウマイヤ軍は撤退しました。

ヤズィードの跡を継いだムアーウィヤ2世も即位後数週間で病死し、ズバイル派が勝利を収めたかに思われましたが、ウマイヤ派はカリフ・ウスマーンの従弟にあたるマルワーンを擁立しました。マルワーンはシリアの反乱者を鎮圧してウマイヤ家の領土を確保し、在位1年で崩御したものの、息子アブドゥルマリクが跡を継いで反乱軍に立ち向かいます。

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この時、イスラム世界は四分五裂の有様でした。ズバイル派はヒジャーズとイエメン、バスラやフーゼスターンで支持を得たものの、アラビア半島中央部からイラン高原南西部にかけてハワーリジュ派が蜂起しており、クーファではアリー派のムフタール・アッサカフィーがフサインの異母弟イブン・ハナフィーヤを擁立、イラク・アルメニア・北西イランを制圧していました。

ズバイル派は当初ハワーリジュ派やサカフィーと同盟していましたが、教義や統治形態の違いから決裂します。サカフィーは687年にズバイル派に打倒されますが、シリアとエジプトを確保したアブドゥルマリクは689年からイラクへ進軍し、691年に敵軍を撃破して征服します。これで形勢は大きくウマイヤ朝側へ傾き、692年にはマッカを再び攻撃してイブン・アッズバイルを倒します。サカフィーに担がれていたイブン・ハナフィーヤはダマスカスに赴いてアブドゥルマリクに忠誠を誓い、マディーナに隠棲しました。

イスラム帝国を再統一した中興の英主アブドゥルマリクは、余勢を駆ってさらに領土を拡大します。彼の治世に、東方はインダス川、北はソグディアナ(マーワラーアンナフル、アム川以北)、西はモロッコまでイスラム帝国の版図となり、東ローマ帝国は北アフリカを失いました。711年にイスラム軍はジブラルタル海峡を渡り、イベリア半島を征服することになります。

三教源流

興が乗ってイスラム帝国の歴史について書きすぎましたが、このコーナーの本題はユダヤ(ユダヤ人、ユダヤ教)についてです。ここらでイスラム教と各宗教の関係についておさらいしておきましょう。

イスラム教は、ユダヤ教やキリスト教と同じ歴史背景を持ち、同じ神(唯一神、ヤハウェ)を崇めていますが、独自の教義を持ちます。クルアーンによるならば、それは唯一神アッラーフからの最後の啓示であり、それ以前に預言者たちに下された啓示を上回るものだとされます。

クルアーンに説かれる人類の歴史は、ユダヤ教の聖書が説く歴史とおおむね同じです。アーダム(アダム)の子孫である人類は、アッラーフの教えに従わず好き勝手に振る舞い始めたので、アッラーフは預言者に啓示を授けて戒めさせ、戦争や天変地異によって悪人を懲らしめます。いわばバグ修正のためのパッチです。ヌーフ(ノア)も預言者で、アッラーフの教えを説いて回りますが、聞き従わなかった人類は大洪水によって滅びました。

ヌーフの子孫がイブラーヒーム(アブラハム)です。彼はユダヤ教の聖書にもある通り天啓を受けた預言者で、ハジャル(ハガル)との間にイスマーイール(イシュマエル)を、サラー(サラ)との間にイスハーク(イサク)を儲けました。イスハークの子ヤアクーブ(ヤコブ)の子孫がイスラエル人であり、イスマーイールの子孫がアラビア人とされます(セムの別の子孫やハムの子孫とされる部族もいますが)。

従ってアラビア人とイスラエル人は先祖を同じくしますし、ユダヤ教・キリスト教とイスラム教も源流を同じくします。モーセ以前に唯一の神を崇める預言者が存在したことは、ユダヤ教の聖書も認めています。このようにアブラハムを共通の祖とする諸宗教を「アブラハムの宗教」と呼びます。

イスラム教によれば、預言者ムーサー(モーセ)に下された啓示、すなわち律法(タウラート、トーラー)によってユダヤ教が成立しました。イスラエル人はこれを奉じて偶像崇拝者のカナアン人らを滅ぼし、約束の地を獲得しますが、堕落して偶像崇拝を行い、預言者が現れて彼らを救います。ダーウード(ダビデ)やスライマーン(ソロモン)も預言者ですが、イスラエル人は結局堕落した末に国を失い、律法の書も散り散りになります。

やがてエズラが出て律法の書を再編しますが、長い間に誤ったり歪められたりしており、もとに戻らないままユダヤ教徒に伝わります(ある意味ではそうですが)。こうしてユダヤ教徒は歪められた啓典を後生大事にし、無数の伝承を継ぎ足してややこしくし、ユダヤ人以外への布教も行わなくなりました。そこでアッラーフは新たにクルアーンという啓示を下し、全人類を正しく導こうとしているのだ…というのです。

ユダヤ人にとってアラビア人は長らく隣人であり、割礼を行い豚を食べないなど文化的にも多くの共通点があります。ヘブライ語やアラム語もアラビア語と同じセム諸語に属しますし、ギリシア語を話すキリスト教徒より親近感はあったでしょう(アラブにもキリスト教徒は結構いますが)。

キリスト教については、預言者イーサー(イエス)に下された啓示である福音(インジール、エウ・アンゲリオン)を、弟子たちが酷く歪めてしまった宗教だとします(そうといえばそうです)。イーサーはマルヤム(マリア)がアッラーフの奇跡で処女のまま懐妊した人間であり、イスラエル人にアッラーフの福音を述べ伝え、様々な奇跡を行って人々を驚かせました。

イーサーはクルアーンにおいても「マスィーフ(メシア、キリスト)」と呼ばれますが、「油を塗られた者、聖別された人」という称号であり、神の子とか神の化身だとかいう意味はありません(アッラーフの使徒として世を救おうとしたので救世主ではあります)。やがてイスラエル人やローマ人は彼を捕縛し、十字架に磔にして処刑しますが、クルアーンは「彼らにそう見えただけで、イーサーは磔刑にされていないし、殺されてもいない。実はアッラーフが彼を御側へ召し上げたのだ」と説いています。

これについては様々な解釈がありますが、伝承によれば十字架を運ぶ肩代わりをしたキュレネのシモンとか、イスカリオテのユダが身代わりになったのだといいます。グノーシス主義でも「キュレネのシモンがイエスの身代わりになった。イエスはシモンの姿になって逃げおおせ、無知な者たちを嘲笑っていたのだ」としていました。いわゆる仮現説の一種です。死者を復活させるぐらい全知全能のアッラーフなら朝飯前ですが、イエスの死自体を否定したのは、彼の死や復活についてのキリスト教の教義を否定するためです。

死と復活がなかったとしても、イーサーはアッラーフによって匿われた立派な使徒であって、世界の終末に際して再び現れると信じられました。それでも彼はアッラーフの子でも化身でも半神的存在や天使でもなく、ムハンマドと同じく人間に過ぎません。「マルヤムの子マスィーフこそアッラーフだ」などというのは、イスラム教からすれば度し難い誤謬であり、アッラーフの唯一性を否定する不信仰そのものです(ユダヤ教徒もそう考えます)。

せっかくイーサーから福音を授かったのに、弟子たちは彼のことを慕うあまりアッラーフの子とか化身と勘違いし、誤った解釈や集団幻覚胡乱な与太話を付け加えていきます。彼が架かったわけでもない十字架を有難がり、胡散臭い聖遺物や意味不明な神学議論を尊び、聖画(イコン)や聖人と称して人間を偶像化し、王侯貴族や聖職者同士で権力闘争に明け暮れる様は、アッラーフの教えから遠く離れているではありませんか。まあイスラム教も時代が下ると段々そうなっていきますが…。

そしてなにより、イスラム教は現世において非常に成功した宗教です。ユダヤ教徒は国も神殿も失っており、キリスト教はローマ帝国を乗っ取るまでに300年もかかりましたが、イスラム教を奉じる教団はわずか数十年で広大な版図を獲得し、莫大な戦利品と貢納を手に入れた圧倒的な勝利者です。人間の集まりですから血なまぐさい権力闘争や利害の対立はありますが、これほどまで急速に拡大した宗教は古今未曾有です。チャイナでいう天意や天命、アッラーフの思し召しとしか言いようがありません。

ユダヤ教徒やキリスト教徒やゾロアスター教徒からも「これは真実(マジ)だ」と思って改宗する者は大勢いましたし、そうでなくても現世における栄達や税金逃れのために改宗する者は続々と現れます。ユダヤ教徒やキリスト教徒は「偽預言者だ、これぞ預言されし反キリストだ」と叫んでヘイトを煽り、信者を繋ぎ止めようとしますが、現実問題としてイスラム教徒の支配下に置かれれば従わざるを得ません。逆らえば殺されます。商売をするにも何をするにも、覇権国たるイスラム帝国の庇護下にあれば安全です。

とはいえ、異教徒による支配は迫害の危険もありますし、精神衛生上もよくありません。自前の国家を持つキリスト教徒はまだしも、ユダヤ教徒は600年以上も国がなく、神殿も失われた状態が続いています。ユダヤの地で独立しエルサレムを都とするのが最上ですが、実行すればイスラム教徒に潰されます。どこかに新たな約束の地はないものでしょうか。

◆バイストン・ウェル◆

◆のぞけます◆

【続く】

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