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手記を片付ける

朝。

仕事をしようと思っていたのだが、いらぬメモがあまりにも多いことに気が付いて片付けをしている。いま僕のnote(というより人生)はほんとうに散発的で美しくない。フォロワが減っても仕方ないと思いながら書き続ける。

秋口、ここに書いていないことも色々とやっていた。

17ライバーのオファーが来たが、地方のちょっと危ない香りのするおばちゃんに絡まれて初回放送で辞めた。僕を担当している保険のお兄さんから怪しい商売も勧められた。ほんとうに藁にも縋る思いだったので途中まで足を踏み入れ、家に様子を見に来た大学の同級生に本気で止められた。結局、その人には僕の信用に関わるのでと言って断った。

手記を読み返すと、9月末に大学の仕事を去ってからというもの、近所のアルバイトに片っ端から応募していたのが記録されていた。ごく最近のことなのに思い返すとほんとうに大変だった。世界を知らず、未熟だった。

温泉の掃除のバイトは面接に行くのがやっとで、精神面を心配され落ちた。コピー機の組み立ての仕事は副業がダメで、ファミマとパチンコ屋は夜勤がないのでと言われて諦めた。電話ではなく採用フォームから応募してくださいと言われた気もする。今ならそんな奴採るわけないと分かる。

酒が作りたいと言って近所のスナックに応募したが、女の子しか採っていないと言われ断られた(僕はスナックに行ったことがないのでそういうことを何も知らない)。ネカフェの受付くらいならできるだろうと思い採用担当に電話すると、曲がりなりにもコンピュータの勉強を6年していた肩書を買われ「うちの運用部署に来ないか」と言われた。あいにく技術者としての自信も人としての自信もすっかりなくしていたので、これはこちらから断った。

シーシャ屋や駅前のバーにもgoogle mapを見てよさそうな店には片っ端から電話を掛けた。しばらくして1軒だけ話を聞いてくれるところがあり、そこに面接をしに行って「ジャズミュージシャンとして一度お店側の苦労を知っておきたい」と話したところ、君の夢の為ならと言って受け入れてくれた。

結局生活習慣もメンタルもガタガタだった僕はお客さんとの人間関係に耐えられず、遅刻や体調不良が再発して1か月で辞めてしまった。人の出入りはもとより激しかったようだが、このあたりではかなり長い間続いている老舗の名店で、あまりにも人間臭く、厳しくも温かい環境だった。今も料理のいろはを教えてくれたお兄ちゃんがずっとそこで働いている。

夜中にしか身体が動かせなくなっていた僕にある程度の健康を仕向けてくれたのもこの店で、朝5時に帰るのが苦でもなんでもなかった僕にだんだんと健全な生活習慣を取り戻させてくれた。本能的に太陽を浴びたくなった。

秋口くらいから僕のnoteの投稿が増えていると思うが、この時何年も戻らなかった最悪の精神状態と体内時計を必死で戻していた。僕はどこかでずっと大学で覚えた激務に反発していたのだと思う。就職してからグレるやつなんでそうそういないぞと、いつも演奏に誘ってくれる同級生も心配していた。

高すぎる理想と全く拭えない社交不安のせいで、随分ただのアルバイトをするだけなのに勇気が出ずに長い時間を過ごした。結局今も、年明けにやっとの思いで登録した派遣会社のお世話になっている。職場の組織図に僕の名前があるが、正規入社ではないのでちょっと端のほうに載っている。

僕はまだまだ社会人として覚えておくべき基本的なことと、素晴らしい教育を享受できた人がやれることの区別をつけられずにいる。社員のメールのエラーログは読めるのに電話の保留の仕方はわからない。出退勤の記入をするたびに「よし、今日も頑張った」と未だに心の中でガッツポーズしている。取引先との関係性の話を、まるで子供が初めてジブリ映画を見た時のような気持で眺めている。小売店に並ぶ商品を、本当にこれを僕が触っていいんですかという感情でドキドキしながら取り扱う。

こんなにいろんなことが人生で起きてきたというのに、まだ僕は社会人として小心者だなと思う。



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